高濱コラム 『涙の数だけ』

『涙の数だけ』2017年3月

 稀勢の里が優勝して横綱昇進を決めた日、スポーツ新聞におもしろいエピソードが載っていました。16歳、三段目で7戦全勝だったのに優勝決定戦で敗れた稀勢の里は、花道で人知れず泣いていた。すると、たまたま通りかかった横綱朝青龍が近づいてきて、「その気持ちがあれば、お前は強くなる」と肩を叩いてくれた、というものです。それまで雲の上の存在で話したこともなかったのに、声をかけてくれて嬉しかった。「昔は、悔しいことばかりでよく泣いていた」という記事でしたが、その中にいろいろ考えさせられることがありました。
 品格が足りないとまで揶揄されながらも結果を出し続けた勝負師は、這い上がって来る者に何が一番必要かをわかっていて、その一瞬に稀勢の里の中に光るものを見たのでしょう。また、「涙の数だけ強くなれる」と歌にもありますが、それをやり通せるのは、「やっぱり俺はあっちの道だったかな」などとぶれることなく、信仰のように相撲に懸ける気持ちが、稀勢関の中にあったからでしょう。柔軟性も大事だし、懸けてみても芽が出ない人もいますが、少なくとも頂上に上り詰める人は、「これしかない」と決断し迷わない力があるのだと思います。そして、一番感じたのは、心が弱いだのここ一番で脆いだのと書かれ、何度も「あと一勝」をつかみそこねて悔し涙を流すたびに、彼は着実に強くなったということです。この一年の取り組みを冷静に見れば、いま一番強い関取であることは、少し詳しい人ならわかっていました。

 ちょうど、News Picksの「亀っちの部屋」という企画で、D.M.M.の亀山会長と対談をしたのですが、現代人の心の弱さが話題になりました。一例として、動物や人の死をタブー視する文化に触れて、彼はこう言いました。「震災で大量の人間の死を見てしまうとか、大きな不幸に突然見舞われると人間は壊れてしまいかねない。でもだからこそ、日頃から少しずつ人間の死や動物の死を見て、小さな傷を受けて回復することを繰り返していけば、強くなると思うんだ」
 子どもの周りから厭なものや傷つけるものをすべて取り除こうというのは、悪しき除菌主義ですし、小さい傷を受けて回復することの繰り返しで強くなるとは、私が「もめごとはこやし」と言っていることと同じです。幼少時から年齢相応の良い加減で、少しずつ傷ついては克服するという乗り越え経験が大事と、講演会のたびに語ってきました。
News Picksの記事に寄せられた、精神科医であるSakamoto Takayukiさんのコメントが参考になったので引用します。
 
 ストレスは全て排除すれば良いというものではありません。小さな頃から過保護にして、なるべくストレスを与えないよう、与えないよう、大切に大切に育ててしまうと、家族がずっと死ぬまで家で守ってあげられれば大丈夫かもしれませんが、家族がいない環境、学校や社会に出て、そこでストレスにさらされると、今まで全く自分でストレスに対処したことがなく、対処できず、そのストレスの大きさを、許容できずに精神的に回復できないことがあります。保育園の時に、少し転んで擦り傷を作ったりする程度の小さなストレスはむしろあった方がいいのです。
 けれども、そこで、転ばせないように、散歩をなくせみたいに怒鳴り込む親がいて、その親に対応して散歩をなくそうみたいな流れが日本には多いのではないでしょうか。何かに挑戦して失敗して凹むことや、失恋をして悲しむ、そういう小さなストレスはとても大切なのです。そして、家族という安全な守ってくれる存在の手が届く子供のうちに、小さなストレスを経験して、そして対処できるという小さな自信を積み上げていくことが、大人になって、いわゆるストレスが強いと言われる人になる一つの方法です。ストレスを感じない、のではなく、ストレスに柔軟に対応できるようになるわけです。
ストレスを完全になくすことは、人にはできません。ストレスをなくそうと努力するのではなく、ストレスに対処できるようになろうと思える人が増えることを期待します。(原文のまま引用)
 
 私が語るのは現場経験で培った教育者としての信念に過ぎませんが、このように、エビデンスに基づいて考えることが仕事であるお医者さんの言葉になると、説得力が増すというものです。
 ところで、わが子にとって「もめごとはこやし」であることは、お母さんたちも頭ではわかっています。人生を振り返れば、苦労した人は強いなという実感もあるし、社会人として人一倍輝いている人は、何らかの逆境に立ち向かい乗り越えた人であることも、よくわかっています。それでも「うちの子が叩かれた」と怒鳴り込んでしまう親は、成熟度が足りないダメな親なのでしょうか。いいえ、母とは泉のように心配がコンコンと湧き出る生き物。子の無事を祈り、傷つけるものには嚙みついてでもわが子を守ろうとするのが本質です。
 足りないものは、一人の母を包み込むような人の網です。私は「母のゆりかご」と言っていますが、子どものことですぐに不安になる母の話を毎日受け止め、傾聴し、うなずき、気づき、気遣い、ねぎらう人のネットワークが絶望的に欠落していること。それが一番の問題なのです。
 子どもたちが、辛いことがあったことを自分なりに消化し明日強くなれるのは、「おうち」「かぞく」という「安心を感じられる帰る場所」があるからです。そして、その支柱である「おかあさん」が安心していられるためには、人の輪が一番効きます。「わかるよ。腹が立つよね」「大丈夫、大丈夫。そうやって強くなるのよ」「あなたもお母さんらしくなったじゃない」「どうしたの、疲れているね」「がんばったじゃない」とシャワーのように温かい言葉を浴びていればこそ、大らか母さんでいられるというものです。
 子どもが「涙の数だけ強くなれる」ためには、本当は「母のゆりかご」が必要です。しかしながら、隣組もご近所づきあいも寸断された現代だからこそ、みんながそれぞれの立場で考えなければなりません。私の解答は「ママのニコニコカード(ママ友や実母・実姉妹とのおしゃべり、仕事、アイドル、スポーツ、講演会などなど)」を、外に出て積極的につかみに行くということですが、もとより答えは一つではありません。「私は、〇〇のおかげで、心穏やかでいられますよ」ということがあれば、ぜひ教えてください。 

花まる学習会代表 高濱正伸