『伸びない子はいない・・・学習の礎』 2017年10月
子どもたちが伸びるのは、学習を「自分がどうする」という主体的な問題として捉えたときです。学習を自分のためとして引け受ける、正面から学習と向き合う。当事者意識をつくっていくことで子どもたちは伸びます。生きていくために、私たちは生涯学びます。生きていくため、明日をよりよくするために学びます。生涯にわたる学びの基礎をつくっていく、鍛錬の場が西郡学習道場です。
持って生まれてきた、知能・能力には個人差があます。それを比べても、嘆いても仕方がありません。私たちは、個々の能力を一つひとつ伸ばしていくしかない。昨日の自分よりよくなることに尽きます。学習道場では、知能・能力・学力の高い低いは問いません。自分の課題に向き合い、それぞれの成長を促す。逃げずに正面から向き合う子どもたちがいて、その子どもたちを正面から受け止める私たちがいます。成長は目に見えるものばかりではありません。伸びているのかどうか、見えないと不安になります。焦りますが、成長には時間も必要。子どもたちは確実に成長しています。伸びない子どもはいません。
自分の課題に正面から向き合い、克服する。できることならやりたくない、逃げ出したい。わからない、できないから、ふて腐れたり、ぐずったりして、言い逃れや言い訳が始まり、甘えます。そこを逃がさないのが道場。許されない厳しさも必要です。わからない、できないから叱るのではありません。逃げ出したい、投げ出したい心を叱責します。子どもはほめられると伸びる、やる気も出る。達成感、自己肯定感もうまれます。だからほめて伸ばします。道場でも花まるメソッド同様の、ほめて伸ばす・認めて伸ばす指導は基本的に同じです。4年生以上になると、自分を厳しく鍛える学習も始まります。ほめるも叱るも同じこと。すべてその子のため。学習へのモチベーションを高めるためです。
わかること、できることを積み上げていく学習が基本です。ごまかさないこと、できたふりをしないこと。できない、わからない、学習は難しい。覚えられない、課題も多い。だから無意識に自分自身をごまかし、自分はできた錯覚・思い込みが始まりますが、ごまかしやできたふりは学習の“敵”、伸びない原因です。できない、わからない、に対峙するしかありません。
学習は自分と対峙する孤独な一面があります。ほめられようが、叱られようが関係ない。自分の学習は、自分でどうにかするしかない。教えもするし、叱咤激励もします。しかし、誰も助けてくれない。直面する、逃げない、自分が何とかするという意識から、本来の学習は始まります。学習は孤独であることがわかったとき、共有もでき、尊敬もでき、労わりもでき、喜びもあります。
物覚えが悪い。よく忘れる。何でこんなに覚えないのだろうか、いい頭に生まれてくればよかった、と幾度も嘆き、泣きたくもなります。しかし、持って生まれたものを嘆いても、比べても仕方がないと悟ってきます。自分の能力、性格、できる・できない、わかる・わからないの軸を、成功と失敗の経験を積みながら定め、「自分の学習」を作り上げていくことが学ぶということです。他者に依存していても、自分の学習は進みません。自立あるのみ。自分の頭を使うしか方法はありません。順風満帆な発達はありません。逆境にこそ学習の始まりがあります。わからない、できない、だから学習なのです。
わかりきることの大切さ、基本の徹底。咀嚼ができた・わかった達成感が自己肯定感をうみ、次の学習意欲がうまれます。生きていくために、私たちは一生学び続けます。小学生の学習はその始まり、礎です。学習の始まりの段階で、小学生の段階で、正しい学習観を身につけてほしい。一生の礎となる学習を身につけるところが西郡学習道場です。
西郡学習道場代表 西郡文啓