西郡コラム 『道場で中学受験』

『道場で中学受験』2011年11月

さいたま市南浦和の道場に中学受験科を設けたのは、小学5年女子の保護者の相談からだった。その子は言葉数の少ないおとなしい子で、同学年の児童と比較しても幼く、何事にも理解に時間がかかる。が、まじめにコツコツ学習する子だった。この子がこのまま地元の公立中学に進学するには不安がある、かといって中学受験の過酷さに耐えられるだろうか。保護者からのこういった進学相談があった。

もともと学習道場をつくったのは、本来子ども自身の持っている能力をどう伸ばしていくか、中学受験、高校受験に関わらず学習の自立を目指すことからだった。生きていくためには生涯、学習しなければならない。だから学習するということはどういうことなのか、その基礎を作る鍛錬の場としての学習道場であった。中学受験は小学6年時の短期的なスパンで結果が求められる。そこはいい。道場の設立当時、受験科は考えなかった。もっとも、中学受験を目的とするものではなかったが、道場の考え方に賛同された保護者の方が、4年時に道場に預けられ、その後、スクールFCに移動して中学受験をするケースも少なからずあった。また、中学受験をするかどうか、その資質が子どもにあるかどうか、その見極めの一年として道場に通う生徒もいた。そして先ほどの相談。

ならば、道場で受験科をつくるならどういう受験学習にするか。道場での日々の実践から、子どもを伸ばす秘訣は、その子が学習を自分の学習だと引け受けることができるか、直面することができるかどうか、ここに尽きると確信している。それを体得した子ども、自分で何とかしようとする子は伸びる。受験も同じではないだろうか。当事者意識を作ってから受験に向かわせるやり方でいい。急がば回れ。それなら先ほどの保護者からの相談にそのまま応える受験科を道場にもつくることができる。まじめにコツコツ学習する子が安心して受験できる環境をつくる。能力の高い低いは問わない。自分の持っている潜在的な能力をどこまで引き出せるか。自分で何とか解決しようとするか。偏差値ありきではなく、学習ありき、こういった中学受験科なら道場の趣旨に反しない。

中学受験の弊害は、学習の量の多さ、その消化不良、不必要な比較、偏差値による序列の構築、保護者への情報過多などがあるが、道場ではそれらを排除する。その子がその課題を克服しないと前には進めない。わかるまで教える。ただし、自分からわかろうとしない場合は教えない。教えないことも教育。まじめにコツコツ学習する子に応える。わかること、できることを積み上げていく学習を基本にする。誤魔化さないことできた振りをしないこと。誤魔化しやできた振りは意図的な意味でいっているのではない。受験学習は難しく、覚えられない課題も多い。だから無意識に自分自身を誤魔化したり、自分をできたようにしないと耐えられないこともある。しかし、そこは逃がさないで直面させる。その鍛錬は学習の本質だから。わからない、できないからふてくされたり、逃げたり、甘えたりするときは、そこは道場、許さない厳しさも必要だ。わからない、できないから叱るのではない。学ぶにことにはあくまでも真摯に、謙虚に。偏差値は最終的な志望校選択に必要な資料だが、最終的に公立中学でもいいなら、好きな中学の入学試験を受けてもいい。何の縛りもないはず。あくまで偏差値は目安。ただ、落ちたときの落胆がその後の学習に支障をきたすようなら合格をとる。6年生時には、模試の偏差値を参考に、行きたい中学を選択し、受験する。しかし、すべてはその後。中学受験はあくまで長い学習生活の通過点でしかない。中学受験で潰さない、後伸びする学習法を身につけさせる、道場の受験はここからスタートした。

そして、今春、初めての中学受験を迎えた。相談を受けた子どもも紆余曲折、学習成果が結果としてなかなか現れず、不透明不安のなか、それでも粘り強く、前を向いて歩き続けた。結果、合格した。決して難関校の受験ではない。偏差値ランキングからみれば低い中学だ。しかし偏差値の高い低いの基準は、どうでもいい。その子が自分の持っている能力をどこまで伸ばすことができるか、伸ばそうとするか、昨日の自分との比較なのだ。彼女はがんばり続けた、そして合格した。有名校に何人合格しましたは、道場の受験科には要らない。

彼女と同じクラスのもう一人の女子は、12月になってぐんぐん伸びだした。模擬試験の偏差値を10近くあげてきた。伸びる子は、自習と質問の質が変わってくる。教室に入るなり黙々と自習を始める。余計なことはしない。スーと背筋が伸び、後姿に緊張感が漲る。集中するとはこういうことか。そして質問が鋭くなって、何が分からないのかが明確になっている。そしてこちらの手が放せないときなどは、自習して待つ。質問を待たない。無駄な時間がない。自分の学習として引き受けた。学ぶことは楽しい。わかる、できる喜びがあるから、受験間際になっても悲壮感はない。ふくよかでつやつやしている。これでいい。彼女はどの中学に入ろうと伸びる。

その子の持つ能力を最大限伸ばす。そして受験し、結果を受け入れる。正しい学習は入ってから伸ばす。入ったところがいいところ。行ってみないと実際は分からない。思惑が外れれば自分で何とかする、学習環境は自分で変えられる。