西郡コラム 『講演も、授業も自分が試されている』

『講演も、授業も自分が試されている』 2018年1月

 「これ、どうすればいいのですか」というような漠然とした質問ではなく、実際にやってみたが行き詰まった末の、具体性のある、当事者ならではの質問を持ってきたとき、「聞く耳を持った」と思う。そして、この「聞く耳を持った」が「レディネス」。教育を始めた当初、辞書の意味として「学習に対する心身の準備性なり準備」(岩波教育小事典)=「レディネス」という用語を知る。しかし、知っただけの、習っただけの言葉は、経験のフィルターを通して実感していない。未成熟な言葉だけに自分が使ってみると、嘘くさく、浮いてしまう。どこまでわかって使っているのか。借り物は借りもの、自己反省、嫌悪がくる。
 「学習意欲」。文科省の「確かな学力」に組み込まれている、主体性を持つ重要な言葉だが、「学習意欲を身につけましょう」というお題目では何も生まれない。「学習意欲」って何?これを説得ある言葉にするには、学習の現場で起こった具体的な事例を伴う必要がある。花まるメソッド(花まるの教材とその指導法)と取り入れた、公立小学校で毎朝やっている「花まるタイム」。毎日やる連続性があるから、日々の学習の成果を実感できる。だから、「明日もこれやりたい!」と高揚感をもって生き生きと子どもが叫んだとき、これが「学習意欲」となる。この事例を伴って、「学習意欲が大切です」は、借りものでもなく、嘘くさくもない、リアリティーを持った、内実を伴う、私の中に落とし込んだ言葉として、自信をもって発することができる。
 抽象的な概念(用語として「レディネス」「学習意欲」)を、実践のフィルターで通し、経験という肉付けをして、自分の言葉に変換して、要約する。「レディネス」⇒「聞く耳も持つ」、「学習意欲」⇒「明日もこれやりたい!」。定義ではなく、そのときその場面でしか生まれない言い換え、具体的にわかったときに、私の使える言葉になり、その言葉のバックボーンが自分にできあがったとき、実際に納得して使える、自分の言葉になる。そして、自分のものにした言葉は、説得力のある言葉として、相手に届く、響く。
 来年度道場を開く吉祥寺FC・本八幡FCをはじめ、学習道場のある校舎で講演会を開いた。全会場合わせて、総勢600名弱の方に来ていただいた。講演後にアンケートを書いてもらったが、「話に説得力があった」という感想を多くいただいた。敢えて足を運んできた甲斐があった。来た方に無駄な時間だった思わせないだけの講演をする。演者には緊張感がある。「説得力があった」という感想をいただくと、素直に嬉しい。
 私の経験に裏付けされた背景が、私の発した言葉の中に氷山の一角の如く潜んでいるから、「説得力があった」という感想をお書きになったのだと思う。講演会だけではない。多くを言葉で伝える授業もそう。専門性を持つ講師の授業が説得力を持つのは当然、その分野の造詣が深いから。取り繕った、薄っぺらい知識・言葉では見透かされてしまうのは、大人も子どもも同じ。むしろ子どもの方が感覚的に見抜く。バックボーンのない言葉を羅列しても、だれも聞いてくれない。講演も、授業も自分が試されている。

西郡学習道場代表 西郡文啓