『ゴムのようにのびる時間』2020年9月
以前、ある国で『Jam Karet(ジャムカレッ)』という言葉に出会いました。この言葉を直訳すると『ゴムの時間』となります。この言葉はどんな意味を持つのでしょうか。
Jam Karetの文化を持つ国の人々は、日本で生活する私たちからすると「時間にルーズ」と言えます。年に数回ほどこの国へ旅に出るのですが、Jam Karetを感じる瞬間に何度も出会います。
長距離バスに乗るときのことです。発車予定時刻から2時間遅れてバスが到着。しかし出発したかと思うと、途中でドライバーが降りてしまいました。 20分経ってもドライバーは戻らず…。ほかの乗客に状況を聞くと、ドライバーは朝食を食べに行ってしまったことがわかりました。次第に、私は目的地にいつ着くのかと苛立ち始めていました。しかしそのとき目に入ったのは、まったく動揺せず各々の時間を過ごしている周りの乗客の姿でした。運転手と一緒にご飯を食べに行った人、お化粧をしている人、遊んだり寝たりしている人。この状況に苛立ちを感じていたのは自分一人でした。
『ゴムの時間』とは、時間はゴムのように伸び縮みするもの、というインドネシア人の考え方を指します。日本人はよく「時間に正確だ」と言われています。学校の20分休みは21分でもなく19分でもなく、きっかり20分です。この時間への正確さは、間違いなく誇るべき日本人の魅力の一つです。
一方、お腹がすいたらご飯(makan)の時間が始まり、汗をかいたら水浴び(mandi)の時間が始まり、満足したら次の時間が始まっていくのがインドネシアスタイル。テキパキと時間が素早く流れるときもあれば、ゆっくりと時間が流れるときもある。そんなインドネシア人を見ると「なんて贅沢な時間の使い方なのだろう」といつも思うのです。
もちろん常にJam Karetな生き方をするのがいいことだとは思いません。授業時間になっても誰も教室に来ていなかったら、きっと私はあわててしまうでしょう。しかし通勤ラッシュ時に数分の電車の遅延に焦る人々を見ると、ふとインドネシアの人々の生き方を思い出すのです。もちろん、どちらが優れているかという話ではありません。「自分とは違う生き方がある」と知ることは、人生を豊かにする鍵であると私は思います。この世界にはまだまだ知らない、おいしい食べ物や美しい音楽があります。知ればその分だけ私たちの世界は豊かになる。それが文化というものですね。
でも、何も遠い国の話だけではないはずです。私たちが知っている「当たり前」は実は自分だけのもの。今、隣にいる人はきっと違う「当たり前」を持っているでしょう。私にとっては教室の子どもたちです。ときに子どもたちは私の知っている「当たり前」からは想像もつかないようなことを始めます。子どもたちといて「どうしてそんなことをするのだろう…」と感じる瞬間は、まさに『Jam Karet』に出会った瞬間と同じなのです。子どもたちの世界には大人が忘れてしまった「当たり前」がたくさんあります。
うれしかったら飛びはねる。怒ったときは声をあげて泣く。ソファがあったらジャンプしたい。寂しいときはママを呼ぶ。そんな子どもたちの「当たり前」を思い出すことで、一緒にいる時間が豊かに変わっていくのではないでしょうか。
きっとこれから子どもたちが進んでいく未来は様々な出会いに溢れていることでしょう。花まるの教室もそうです。違う学校の子、違う学年の子。いろいろな子がみんなで時間をともにしています。そのすべてを子どもたちの心の豊かさへと変えていけるよう、教室での出会いを大切にしてまいります。
花まる学習会 山岸 亮太