『転んだら起きる』 2020年9月
赤尾好夫という方をご存じでしょうか。旺文社の創業者で英単語集の草分け的存在である「赤尾の豆単」の編者というと、思い出された方もいらっしゃるかもしれません。赤尾氏は旺文社だけでなく文化放送や現在のテレビ朝日などの設立に関わり、日本の近代メディアの発展に貢献しました。
私が高校生だったころの英語の参考書と言えば、旺文社の「英文標準問題精講」(原仙作著)があります。「原の英標」と呼ばれ、この一冊をやり切ればたいていの長文は読み取れるという評判は、片田舎の高校生にも耳に入るほど有名でした。その後開成高校教師時代の教え子である中原道喜氏によって改訂されながら、長い間英文解釈のバイブルとされた名著です。日比谷高校教師であった森一郎氏の「試験に出る英単語・英熟語」(青春出版)は、「赤尾の豆単」がアルファベット順だったのに対し、出題頻度順に並べ替えたところが画期的で、その後「でる単」という愛称で世の受験生の必携書になりました。現在「出る順」シリーズが旺文社の定番問題集になっていることは一つの歴史を感じます。その後旺文社は受験参考書の出版社としてその名を世に知られるようになり、一時期の経営不振を乗り越えて、「ターゲット」「研究」シリーズなどベストセラーの参考書を出し続けてきました。
また赤尾氏は、予備校や塾のない地域の受験生のために大学受験ラジオ講座(通称ラ講)という番組を文化放送で始めました。有名な予備校講師や大学教授などを講師に迎え、テキストは書店で購入するという、NHKの英会話講座の仕組みを大学受験に転用したのです。予備校が近くになかった私もこの番組のリスナーでした。まさに民間によるオンライン授業の先駆けとも言えます。その後は、通信衛星予備校やSkype英会話、教育YouTuberというそれぞれの時代ごとのメディアを使った動画配信やライブ授業が企業だけでなく個人でもできるようになり、今回の新型コロナウィルスの問題で一気にオンライン授業が教育業界に浸透しました。
振り返ると、私が生きてきた時代や環境では不便なことが多かったのですが、その分選択肢もなかったので迷うこともありませんでした。対面授業にしても前出のラジオ講座にしても一方通行の授業だったので、結局は自学自習が当たり前だったのです。ところが今は、本屋にいけば問題集や参考書、ノウハウ本があふれています。ネットによる情報収集も簡単にできます。豊かで便利になった分、迷いも生まれます。子どもたちには、双方向で楽しい授業をしてくれる先生もいます。面倒見の良さを指導方針に掲げる学校もあります。そういう時代だからこそ「自学」というものを大切にしたいと考えています。必要な時に必要なフォローはするべきです。しかし、自分で考える習慣をつくらないと本当の学びの楽しさを経験できません。多少の失敗は大目に見てあげましょう。子どもは大人が思うよりもたくましく立ち直りも早いです。それは彼らのすばらしいところです。ぜひそのうえで個々の長所を伸ばしてあげてほしいと思います。
赤尾氏が蛍雪時代に寄せた巻頭言集である「若人におくることば」という本があります。1965年刊行ですが、今の時代であってもその言葉は瑞々しく、知性に富み人情溢れるその人柄がうかがえます。その一説をご紹介します。
『奥多摩のさらに奥、大菩薩峠に近い所のある山に登った。調査の必要があって、東京都の役人や土地の案内人といっしょであった。(中略)
山の中腹に七、八戸の小さな部落がある。(中略)こどもは一里以上の小道、道といってもくまの通るような道で、やわらかい、小石でうっかりするとすべり落ちる、その道を通って学校に通っている。
小学校二、三年生ぐらいの女の子たちが数名ひどい傾斜の道を平気で降りて行く。気になる。ひとりの役人が声をかけた。
「君たちは実に達者だな。だがこんなひどい道で転んだらどうする」
利発そうな目のクリクリしているかわいい子がふり返った。
「おじさんはおかしなことを言うね。転んだら起きてまた歩けばいいじゃないか」
役人と私とは目を見合った。(後略)』
赤尾好夫『若人におくることば』旺文社文庫1966年
「転んだら起きる」より
スクールFC代表 松島伸浩