花まる教室長コラム 『上を向いて、下を向いて』山崎隆

『上を向いて、下を向いて』2021年1月

 台風の季節が過ぎると、空が澄みわたります。高く、青く、宇宙まで広がる空を見ていると、それだけで胸の中も広がっていくようです。日に日に色を変えていく街路樹と、遠く透き通る空とのコントラストが目を楽しませてくれます。
 そんな景色を見ていると、自然と顔を上げて歩くことが多くなってきます。見慣れた駅までの道もいつもと違って見えます。秋という季節は私の一番好きな季節です。上を見るという、ただそれだけのことが気持ちを明るくしてくれます。色づいた樹々を見上げながら歩いていると、爽やかな気持ちになります。
 「上を見る」ということに関して、先日、子どもたちを見ていておもしろいことに気づきました。頭を使う問題に出会ったとき、多くの子どもたちは同じ表情を見せるのです。目線を天井に向け、空を見上げるようにして子どもたちは考え始めます。
 そんな表情に気づいたとき、大人も考えるときは同じようにしているな、と思いました。私の場合、ちょうど額の前方あたりにマンガの吹き出しのように考えるための空間を作り、そこで考える作業をするような感覚ですが、子どもたちも同じような感覚かもしれません。見ていると立体の問題など、思考の容量を必要とするようなときに多く見られるようです。行動心理学に関しては詳しくないので、何とも言えませんが多くの子どもがそのようにするということは、何らかの理由があるのでしょう。
 一方、考えるとき、人間は必ず上を向くというわけでもないようです。上野の国立西洋美術館の庭園にも置かれているロダンの彫刻「考える人」は、拳に顎を乗せ視線を地面の方に向けています。この「考える人」が何を考えているかはわかりませんが、明るい考えごとのようには見えません。夕飯のおかずや今日着る服のことではなさそうです。深刻なことを考えているように見えます。この姿勢からは考えることの苦しさが伝わってきます。
 どちらの考える姿勢が良い悪い、という話ではありませんが、上を向いて考えるのと下を向いて考えるのでは、考えの質が違うように思います。上を向いているときは考えがまだ自分の到達していない領域や未来に向かっていて、下を向いて考えるときは、過去や自分の内側に向かう内省的なイメージがあります。そして下を向いて考えるのは、ある程度人間が成長しなければ難しい考えのようにも思います。ロダンの「考える人」のポーズは小さい子どもには似合いません。
 似合わないとは言っても、年中の子でもそのような表情を見せることもあります。まだ頭が体のわりに重いので両肘をついて頬を支えるような姿勢ですが、「考える人」になっている姿を子どもたちは時々見せます。そのような表情を見せるのは「ママに怒られた」などのかわいい理由が多いのですが、彼らにとっては深刻な悩みに違いありません。小学校の高学年くらいになってくると友達関係や家族との関係のことで、下を向いて考えることも増えてくるようです。
 大切なのは上を向いて考えることも、下を向いて考えることも、人間の成長には欠かせない経験だということでしょう。上を向いて新しいこと、創造的なことを考え、下を向いては答えのない問題、哲学や生涯ついて回る人間関係などを考え続ける。どちらも大人にならずとも必要になってくるものです。その考え、悩むことの苦しさに耐えていく強さを身につけてほしいと思っています。
 同時に姿勢が考え方をつくる、ということも知っておいてほしいです。上を向いて辛いことを考え、下を向いて明るいことを考えるのは、実際やってみると難しいことがわかります。辛く苦しいときは、空を見上げて考えるだけで、気持ちが楽になることもあります。
 坂本九さんの歌に「上を向いて歩こう」という曲があります。朗らかな曲調なので、明るい歌のように聴こえますが「涙がこぼれないように上を向く」という、悲しみを知っている人の歌だとかります。明るさの中にも悲しさが包まれている。逆説的ではありますが、「下を向いて」考えたことがある人でなければ、このような感情に気づくのは難しいかもしれません。この曲が日本のみならず、世界でもヒットしたという事実は、人というものの本質が大きく変わらないことを教えてくれます。

花まる学習会 山崎隆