花まる教室長コラム 『自立とはたくさん依存できること』榊原悠司

『自立とはたくさん依存できること』2021年7月

 先日とある地方を訪れました。その日中に帰る予定が、夜遅くなりそうだったのでスマホからホテルを予約。一仕事終えておいしいごはんを食べ、さあホテルに向かおうとスマホでナビを起動したところで電池切れに。ホテルの名前も電話番号も控えておらず、「確かこっちの方だったかな」と予約したときの薄い記憶を頼りに歩き始め、こんな名前だったよなというホテルでチェックイン。ですが「ご予約にお名前がありません」と言われ退出。その後も3件ほどそれっぽいホテルに入っては「ご予約に名前がありません」と言われ、「あれ、ちょっとまずいかも」と思い始めました。充電器を持っておらず、またコンビニで買おうにも特殊なタイプだったのか該当するものは売っておらず。そこではじめて「こんなにもスマホに依存していたのか!スマホがなければ何もできない!」と冷や汗をかきました。結局、5件目のホテルに名前があり、事なきをえましたが。

 さて、脳性麻痺を患い車椅子で生活をされている方(Aさん)のブログを読む機会がありました。内容は震災時の体験談。当時、職場のビル5階にいて逃げ遅れ、大変な目に遭ったということですが、その理由はエレベーターが止まってしまったから。このとき初めてAさんは「逃げることを可能にする依存先が自分には少ないと知った」と言います。他の人はエレベーターが止まっても階段や梯子で逃げることができ、5階から逃げるという行為に対して三つも依存先がある。健常者は何も頼らずに自立していて、障がい者はいろいろなものに頼らないと生きていけない、と思われている。が、真実は逆。健常者は様々なものに依存できて、障がい者は限られたものにしか依存できない。依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存していないように錯覚できる。実は膨大なものに依存しているのに「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが自立といわれる状態。だから自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。このようなAさんの体験談を読み「あっ」と思い出したことがあります。
 二年前のことです。花まる学習会を卒業した中学2年生の女の子二人が教室に遊びに来てくれました。その場にいた六年生の子が「中学校は楽しいですか?」と聞きました。すると一人の子が「中学校、楽しみたいなら絶対に自分のクラス以外にも仲の良い子を作ったほうがいいよ!」と答え、呼応するようにもう一人の子も「わかる!特に女子は絶対に違うクラスにも仲の良い子を二人ずつは作った方が良い!マジで!もし自分のクラスに気の合う子がいなかったり、自分のクラスが楽しくなかったりしても他のクラスに友だちがいれば楽しめるから!」と答えていました。このやり取りをその場で見た当時は、たくましさを感じつつ「いかにもこの二人らしい言葉だ」と微笑ましく思っていましたが、生きていくことの本質を突く実体験から出た言葉だったのだなとハッとさせられました。

 これまで「自立」といえば、親をはじめ、誰にも頼らず自分の力だけで生きていくことだと考えていました。それは、そういった強さに憧れていたこともあります。もちろん「自分の力」も大切。しかし、それだけで生きていこうと肩肘張った依存先のない「自立」は、実は「孤立」なのかもしれない、依存先がたくさんある自立こそ幸せではないか。と、自分の半生を振り返って感じ始めました。
 「私がいなくても生きていけるように強くたくましくなってほしい」と言われた遠い昔の記憶。親が死んだ後もわが子にはずっと幸せな人生を歩んでほしい、という親心からだとその言葉通りに受け取っていましたが、ときを経たいま、こう解釈しています。親以外にも頼れる人を、また家以外にも自分の居場所を、そういった依存先をいくつも増やすこと。そして誰とでも、どの場所であっても幸せであってほしいと。依存先を増やして一つへの依存度を低くすること、言い換えればそれは誰とでも、どこであっても、幸せに生きていけるということ。それが「自立」している状態なのだと思います。

花まる学習会 榊原悠司