花まる教室長コラム 『季節を感じて』吉田優太

『季節を感じて』2022年11月

 先日、一人の女の子から「栗」をもらいました。それも、丁寧にラッピングまでされていました。私の名前をかわいい手紙に書いて、きらきらしたマスキングテープで止めてくれていました。突然のプレゼントに驚く私を見て「その表情が見たかったの~!」とでも言うように、満面の笑みを浮かべるAちゃん。「どうしてプレゼントをくれるの?」と聞いてみました。Aちゃんは、こう答えます。「この前行ったキャンプ場に、栗の木があったの。『秋といえば、栗ひろいでしょ!』と思って拾ったら、『誰かにあげたい!』と思って、お父さん・お母さんと、先生にもあげようと思ったんだよ!」そう教えてくれました。Aちゃんは、小学1年生。よく考えているなあ~と、感心しました。食欲の秋、栗も秋を感じさせてくれる風物詩の一つです。縄文時代には主食のように食べられていたようです。栗林が「財産」として勘定されていたのは鎌倉時代です。いまでは財産ではなくなり、人間の主食からも外れています。それでも秋になると「栗ご飯」を食べたくなるのは、季節の風物詩ゆえか、栗の純粋なおいしさゆえか、はたまた、人間のなかに脈々と受け継がれているDNAゆえか…。味も含めて吟味したいところですが、お腹が減りました。食べたくなる理由の議論にはとても興味深いものがあります。ただ栗ご飯の「おいしさ」には議論の余地がないようなので、ここらでやめにしておきます。

 ある日、Aちゃんのお母さまから相談を受けました。「うちの子、『夢中になる経験』をしていますか?このままで大丈夫なのでしょうか?」と。私は授業中の様子と合わせて伝えました。

 「授業中、新しい迷路問題に出合うと、まずは自分で挑戦することのできるAちゃん。その集中力と、パっと手が動く始動力がステキです。そして、一度ゴールしても次の問題には進まず、その問題を満足するまで楽しみ尽くしています。『この迷路に、扉をつけていい?』『空を飛んでゴールしたら一瞬だよね』『あ、宝箱の前に落とし穴を作っちゃお!!』と、無限の発想力で楽しみ尽くします。そして野外では、キャンプ場に栗があることを知って、だれにあげるかまで考え抜きました。それって充分、夢中になるための原体験です。とってもステキなこと。そこからの『もっとやりたい!』という気持ちを大切にしましょう。現に、ご両親や私に栗をプレゼントできたことが嬉しくて、その翌週には、おじいちゃん・おばあちゃんやテーブルの先生にも渡そう!とアイディアが広がりましたよね。もう、夢中になっています。そのままでいいんですよ」

 お母さまは安堵したようでした。そして、「母の『やらせたい』ではなく、わが子の『やりたい!』をこれからも大切にしていきます」とおっしゃいました。後日談ですが、「栗のプレゼント」はお母さまがかなりサポートしてくださっていたようです。栗の状態が悪くならないように、冷蔵庫で保管。ラッピングなどもAちゃんの主体性を尊重しながら、手伝いすぎず、投げ出さないように…と、良い塩梅で側についてくださっていたとのこと。季節を感じることのできる「『最幸』の贈り物」を、本当にありがとうございました。

 子どもたちへのサポートといえば、日々の宿題が終わったあとにしてくださる「花まる」。おうちの人から花まるをもらえること。それだけで子どもたちのやる気につながっています。本当にありがとうございます。保護者のみなさまへの感謝の気持ちが、またふつふつと湧き上がってきました。忙しくてどうしても丸つけができないときは、「頑張ったね」だけで構いません。一言、お子さまに声をかけてあげてください。お子さまが「また頑張ろう!」と意欲が育めれば、それで充分です。

 いま、私はキャンプ場にいます。思い立って一人で来てしまいました。さっきまで夕焼けが見えていましたが、気がつけばもうすぐ日が落ちそうです。今日は飯盒で炊く栗ご飯。焦げないうちに筆を置いて、焚火の火を落としにいこうと思います。

花まる学習会 吉田優太