『日記は子どもを成長させる』 2022年12月
学習道場の生徒は全員(小学4年生から6年生)、日記を書くことになっている。書き始めた頃は、文にはなっていない生徒も書き続けることで意味のわかる、人に伝わる文を書くようになってくる。毎日、書き続けることに意味がある。書き始めの頃は添削やアドバイスは控える。書くこと自体を認め、書き続けることを優先する。書くことが当たり前になってきた頃から、徐々にアドバイスをする。
初歩的なアドバイスは、文の終わりに読点を打つこと。「。」が抜ける子も多い。句点の打ち方は大人でも難しい。切れ目がなく、わかりにくい文には句点をつけて文意がよりわかりやすくなるように「、」をこちらが添える程度にしている。日記だから主語の「私」「僕」は省いてもいいが、主語がない、主語と述語が一致しない文を書く生徒も多い。一致しないのは、一文が長くなるときに見られる。詳しく書きましょうということを忠実に実践してくれるのはいいことだが、「~したり~したり」と長々と続くときは、主語が途中から変わってきていて、文意が不明になる。生徒には一文一意、短くわかりやすい文を書くこと、それがわかりやすい文になると伝えている。修飾する、されるの関係を正しく書くのは大人でも難しい。「おいしい私はジュースを飲んだ」という例文を示す。どこがおかしいかは誰でもわかってくれる。これをもとに自分の書いた文がどこかおかしいか考えてもらう。自分で気づくまでには時間がかかるが、自分で考える、自分で書き直すことが大切だ。
「以外とはやくおわりましたが、けっこうまちがえちゃいました」と書いた生徒がいた。音をそのままひらがなで書き、漢字を使うことを面倒だと思っている。ひらがなだけの文はわかりにくい。漢字の書き取りは練習、漢字を使って文を書くことで実用、漢字の使い方を覚える。辞書を引いて正確な漢字を書いてほしいが、間違えを恐れず、恥ずかしがらず、まず、使うこと。間違えを指摘されたら正すことが学習、正しく書くことより自分で正す方が学習になる。その漢字を習っていませんという生徒もいるが、いま新しく漢字を習っているのだと前向きに思えるかどうか。向上心を教えたい。
「いいペースで進められたから、次もこのようなペースで進められるようにしたい」と書いた文には、「何のペース」「いいペースって、どんなペース」と聞く。具体的に言葉として答えるのは難しい。書いたことをより掘り下げ、言葉にして書こうとするから考える力がつく。「~したい」といった前向きな言葉で結ぶ日記は多い。悪いことではないが、前向きな言葉を使うのは書いたほうも読んだほうも受けがいいから安直によく使う。日記は人に見せるものではないが、学習の一環として書く日記は私たちに見せる日記になる。前向きな言葉が多くなる。日記だから、明日どうしよう、より、今日の、この日の出来事をもっと観察、分析して書いてほしい。「うれしかった」「がんばった」より具体的な行動を書けるようになるには時間がかかる。
一年間書き続けると、確実に文を書けるようになる。字、そのものが読みやすくなる。読みやすい字を書くようになったとき、書いた文の内容もよくなっている。個人差はあるが、4年生から6年生へと成長するにつれて、客観的に俯瞰した視点で書いてくるようになる。自己中心から他者性が備わりつつあることを、書いた文から感じる。「赤い箱から青い箱へ」子どもの成長の変節をこう表現する。他者性が備わり、自分を俯瞰して振り返ることができつつあるのが「青い箱」の頃だ。日記を書くのは4年生ぐらいからでいいと思っている。語彙が少なく、綴り方も幼いときは日記にはならない。4年生でも語彙は乏しい子も多いが、日記を課すことで言葉を獲得していくきっかけになる。
書き続けていくなかで、切り口が変わり、より深い観察をするようになる。一日のどこを切り取るか。日常生活のおもしろい場面を切り取ってくる、その選択のセンスが書くおもしろさにつながる。子どもならではの発想、子どもならではの観察をもって文を書く表現が日記であり、日記は子どもの成長に貢献する。書くことは自分自身の発見であり、発想を豊かにして考える力を伸ばす。逆に気をつけなければいけないのは、書くことで思考や表現を固定化して貧弱にしてしまうことだ。「うれしかった」「よかった」聞こえのいい紋切り型の表現から抜け出せないと、日記が成長を止める。
西郡学習道場代表 西郡文啓