『同じことを続けるから身につく、形になる。』 2023年11月
教育関係者5、6人が一つのグループをつくり、自分たちの実践例を紹介、共有して今後の活動の参考になるように意見交換をする会議があった。開始直前に会場に入ってきた出席者の一人が席に着くなり「また同じか」と全体に聞こえるような声で不平を口に出した。「また同じ」というのはこの会議が定例で、事例を出し合うことは毎回のテーマになっていることを指している。不満を口にした方は終始、不服そうな態度で会議に参加し、終了後、「もう、出ない」と捨て台詞を吐いて会場を去っていった。
ボランティアで活動している人たちの集まりで、午前中開催のため仕事を休んで出席している人もいる。貴重な時間を割いてまで新鮮味のない会議に出席する必要があるのか。ほかの出席者もあからさまに苦情を言う人はいなかったが、どこか、「また同じ」と思っている人もいる。
「また同じ」を避けるため、事前にどんな議題がいいかを事前にアンケートで調査している。アンケートに寄せられた回答の多くは、他者の事例を知りたい、参考にしたいということだった。事例の共有を望んでいる方も多い。いい議題、いいアイデアはなかなかでない。定例は、同じでも開催する意味はある。同じことをやっても、毎年、新たな発見や試みもある。コロナ感染症が5類になって以降、対策も変わってきている。「毎年同じ」はない。新鮮味、目新しさなどドラスティックなことより、制度の枠内で活動していくなかで、微々たるかもしれない変化に新たな発想、ヒントがある。
佐賀県武雄市の公立小学校で、授業開始前の朝時間に「花まるタイム」(音読、書写、サボテン〈計算〉、キューブキューブを実施。15分)を導入した。学級担任が花まる学習会の指導方法でクラスの子どもたちと「花まるタイム」を実践する。地域住民も参加して、サボテン(計算)の〇つけなどのサポートをする。武雄市の小学校は、開かれた学校になっている。
定期的に学校の管理職(校長、教頭、主任など)と「花まるタイム」を導入した教育委員会、指導してきた私たち花まる学習会の社員とで意見交換をする。導入後、半年ぐらいたって「学校の先生にとって朝の時間は忙しい、健康観察や読書など、やることがある。毎朝週5回の「花まるタイム」を週3回にできないか」といった、退行した意見がちらほら出されてきた。始まったばかり、譲歩は廃止を早める。導入した教育委員会も私たちも、毎日やるから意味があるとして譲らなかった。現場との妥協はあるが、それでも「花まるタイム」は9年間、武雄市公立小学校で続いている。
意見交換のなかで、「音読はマンネリしてきた」「子どもたちも飽きている」「声を出していない。特に高学年は大きな声を出すのを恥ずかしがる」といった意見も出された。私たちの考えを理解している先生のクラスの音読はテンポがよく、切り替えも早く、素早く終わり、徒労感はなく、時間内に終わる。ベテランの先生に限って、立派に朗々とやろうとして長く感じて、飽きる。
音読は国語や英語など語学の基本中の基本で、毎日やればだれでも上達する。公立小学校だからこそ、どんな子でもいるクラスで一斉に音読するのがおもしろい。朝の「花まるタイム」は言語感覚、算数の処理能力を鍛錬する。テンポよく一気にやることで集中力を高める。そして、同じ教材を毎日音読するから、日々の変化を感じる。繰り返すから、うまくなっていることを実感できる。学校は、毎日できる。同じだから、鍛錬できる、フォームができる。
コロナ禍以来、道場の活動をオンラインに切り替え、オンラインの便利さをいかして、毎朝、朝道場を開いている。6時30分から、挨拶して、オンラインでの活動の心得を確認して、発声練習、音読、サボテン(計算)を一気にやり、サボテンの答え合わせまでやって、昨日の日記を書いていることを確認した生徒は退出する。自学で残る子もいるので、7時30分まで朝道場を開いている。
発声練習は、母音の口の開け方、五十音。その後、四字熟語、詩・俳句・古典、文学作品(400字程度を抜粋)、1年生から4年生で習う漢字のフラッシュカードを一気にテンポよく音読して、12~13分で終わる。音の出し方のバリエーション、教材の週替わりなど飽きさせない工夫はしているが、毎日、音読することに変わりはない。毎回、同じでも間違えないように集中して完走するのは難しい。同じでも、毎回、集中すればするほど、「自分の音読」に同じ日はないと感じる。
同じことを繰り返すのは単調でつまらない。が、続けるから身につく、形になる。
西郡学習道場代表 西郡文啓