『ルールを守る、土台にあるもの』2023年12月
「これで、ながくなるから」「おもしろいね、せんせいもいっしょにやればいい?」「うん」
大きな木の枝に結ぶための黒い毛糸を何本も持ってきて、それをさらに結んで長く長くしようとしている男の子がいたので、声をかけました。その日の授業中、一番手をあげて発言していた男の子です。
普段は簡単に人の作品に手を入れることはしません。誰が作者なのか、ということが大事だからです。でも彼の切実な作品への向き合い方と、そしてその挑戦のハードルの高さをかんがみて「いっしょにやろうか」と私はカメラを置きました。
時間にしてほんの1、2分。ふたりで会話もせずただ毛糸を結びます。その瞬間、彼の持つ雰囲気がふわっとほころんだ感じがしました。
保育園、小学校と継続して子どもたちを観察し、接しているなかで、何かいら立ちのようなものを抱えた子どもと出会うことがあります。
かかわる大人は自分なりに指導し、関与してきたつもりであっても、「認めてもらった」経験よりも「求められること」ばかりが多かった子どもの目からは、輝きが失われ、意欲も失われていく。
人のまちがいにも敏感になり、ときに乱暴になり、自分で自分をコントロールできなかったり、「どうして自分のことを見てくれないのか」と訴えたりする子どももいます。ことの本質はなんなのでしょうか。
「それはいけない」「こうしなさい」というように、強く指導をされ続けると、人はどんどん意欲を失っていきます。怒りや憤りのような不満を常に持っているようにも見えます。
反対に、たくさん「共感」をし合うことで、子どもたちはどんどんと心を開いていきます。嬉々として目を輝かせ、説明をしてくれるのです。
作品はその子の分身。だから作品を通してなら簡単に、その子らしさや、ありのままの彼らのユニークさを「いいね」とまるごと認めることができてしまいます。
人は、「もっとこうあってほしい」「こうすべきだ」「そうでないといけないよ」ではなく、「見守ってもらえる」「容認してもらえる」ことをじゅうぶんに与えてもらえるからこそ、ルールや規律といったものも、きちんと受け止められるようになるものなのです。
「花まる(アトリエ)だと、彼のことを、たくさんほめてあげられるから、うれしいんです。いつもは、ちょっと黙ってね、いまは待ってね、座りなさいって、伝えてばかりだから」
振り返りで、担任の先生がおっしゃった言葉を聞き、驚きました。彼はわたしのなかでは、「やる気満々賞」と「自分らしく表現に向かい合ったで賞」をダブル受賞していたからです。
そして、そう言わなければならない、先生の胸の内も想像しました。「こうあらねばならない」にがんじがらめになって、苦しめられているのは、私たち大人のほうなのかもしれません。
いっしょに作ったその大きな長い作品は、観賞会で誰からも触れられませんでしたが、わたしはそのユニークな発想が素敵だと思った、と最後に声をかけました。
彼らの目の輝きを見て、その心の躍動だけを頼りに、これからも子どもたちの前に立っていきたい。子どもとかかわるすべての大人が、そうあれますように。
井岡 由実(Rin)