高濱コラム 『一人の母』

『一人の母』2024年5月

 とある勉強会で、百年以上の長きに渡って生き残っている企業の共通項は「公共性」であると学びました。単に利益を追求するだけではなく、社会的に必要なことなどに普段から継続的かつ献身的に取り組んでいることが、小さな「信頼」として積みあがっていく。そして、どんな企業にも等しく起こる景気や好不調の「波の底」のときに、「あの会社は残してあげなければ」というような周囲の応援の形になって生き残りに寄与するというものです。
 なるほどと納得しましたし、大谷選手の事件発覚後の流れを見ていて、ああ個人も同じなんだなと感じました。なぜそんな大金を他人の口座から送金できたのかという疑問を土台に、大谷選手自身にも(本当は彼も知っていたのではないかという)疑いの目が向けられかけたのですが、いつのまにか雲散霧消しました。旧来のマスメディアはもちろん、ネット上も、誰かを吊るしあげて叩きのめそうという悪意や攻撃性に満ちているし、疑惑の段階でたちまちその大波に飲まれて社会的に抹殺までされてしまうケースをいくつも見てきました。しかし大谷選手については「そんなわけないでしょう」と大多数が思ったし、調査機関の発表も、どこか彼のことは守らねばとでもいう好意に満ちたものでした。
 それは、大谷選手が普段から「ゴミ拾い」を基本行動にしていることや、グローブを全国の小学校に寄贈するなどの公共的な活動をおこなってきたから、一言で言えば「立派な人だな」と誰もが思う行動を積み重ねてきたからでしょう。見習いたいものです。

 話は変わって、この花まるだよりのページ下にあるタカタコのことです。花まる学習会には大勢の教室長がいるのですが、彼ら一人ひとりの魅力をどうにか伝えられないかという問題意識から始まったものです。そして、全社員ともれなく話を聞ける機会にもなるから私がやろう、それは「高濱がおこなう他己紹介」とでも言うべきものだね、じゃあ「タカタコ」だとなりました。
 各年度にテーマがあります。初年度の「高濱から見た本人の特徴」から始まり、昨年度は「各々の人生でのちょっと恥ずかしいエピソード」で、今年度は「私の母」にしました。人を採用する側の長年の経験で、母親を語ってもらうとある程度人柄がわかる面があり、教室長がどういう育ちなのかということが伝わるとともに、現在母親として頑張っておられる保護者のみなさまにも参考になることがあるのではないかと感じたからです。
 そして、一つの仕掛けをしました。私から取材されるにあたって、自身のお母さまに「どういう人生だったか」「子育てをどうやってきたか、どう感じたか」などについて、あらかじめインタビューしておいてもらうということです。
 その目的の一つは「ちゃんと答えられるように、聞いておく」ということですが、隠れ目的としては親子の幸せを願ったということがあります。
 中学生くらいからあとは思春期ということで、親との会話を遠ざけることもあるし、生活上必要な話はするけれど、親がどういう人生を歩んできたかとか、子育てをどう感じたかということなどについて、子としてちゃんと聞く機会は、案外少なかったのではないか、そしてそうであるならば、ちゃんと話しておくことは、お互いに理解を深められるし幸せなことではないかと考えたのです。
 
 実はこれには、私の反省があります。母を亡くして3年経ちますが、全身で甘え頼るだけだった9歳くらいまでは、自分が五感で感じるさまざまなことを認知し理解することで日々精いっぱいで、母がたまに話す幼い頃のこと(長崎の原爆の雲を見たとか)は少々記憶にある程度です。思春期以降はそもそも会話が減り、高校で下宿生活になり、やがて上京と、ゆっくり話す機会はないまま、とうとう葬儀まで至ってしまいました。そして通夜の夜に一緒に泊まった叔父叔母の二人が、母が幼い頃から子分たちを率いた強面だったこと、また地方から熊本高校を受けられるくらい学業優秀であったこと、しかし経済的な理由と、女性はさっさと手に職をという祖父の意向もあり、高校進学をあきらめて看護師の道を選んだこと等々、たくさんのことを語ってくれました。そのときに、ああもっとたくさん人生の出来事や感じてきたこと、思ったことを、ちゃんと聞いておけばよかったなと後悔したのです。
 そして私と話す前の日までに自分の母にインタビューしてもらうことを社員たちに頼んで、各タカタコの聞き取りを始めました。やってみて感じたことは、想像した以上にこれは良い企画だったぞということです。
 第一に、Zoom画面に出てくる教室長たちが、「はい、母にインタビューしました」と言いながらはにかみ幸せそうだったことです。「いままで聞いたことのない話を聞けました」「自分の知っている母と青春時代の母が全然違っていて驚きました」「軽く聞いただけなのに、母ったらA4五枚の自分史と私への遺言としか言えない言葉を書き記して渡してくれたんですよ」などなど、カラフルで濃密な親子のひとときを持てたことが伝わってきました。
 第二に、実にいろいろな子育てがあるのだなと改めて痛感したことです。まずはどのお母さんもおかれた状況で奮闘し頑張り抜いたことが伝わり胸が熱くなりました。一方、同じ会社の社員であるなら母たちにも共通する傾向などがありそうなのですが、40人くらいに話を聞いた時点ですでに極めて多様。溺愛の手出し口出し組もいれば、放置に近い母もいるし、ただもう恐ろしかった母、いつもいつも満面の笑みの母、それぞれなのです。本当にそれぞれ。私が普段「これこそが一番問題」と言ってきた過保護系もいるのですが、まあ仕上がりはみんな一人前の社員になれている。ただし、たった一つ深い深いところで「お母さんは私のことが大事なんだな」と伝わっていることだけは共通していたのです。
 夢のような笑顔だけの母は存在しない。それどころか、NG行動やNGワードと言われることも、ついやらかしてしまうのがごく普通の「母あるある」である。しかしそこに「とはいえ、お母さんが私をかわいくないわけがない」という深い愛への確信さえあれば人は育つという証明を見せつけられた気がしました。
 そして私の心に見えたのは、親子の絆のイメージです。どんな人にもたった一人の母がいる。母は子を想い、その想いを感じ見上げている子がいる。インタビューを重ねるにつれ、その太くて強い想いの絆がクッキリと私の心に見えたのです。時を経て子の役割から親の役割へと歴史のバトンを渡していくなかで、保護者のみなさんはいまは親の側の想いと役割に没頭されているわけですが、少しの時間を子どもの立場としてご自身の親御さんの人生を聞くことにあててみてはいかがでしょうか。
 私のようにすでに亡くなってしまっているという場合は、まわりの方々にどんな人間でしたかと尋ねてみではどうでしょうか。新しく知ることもあるだろうし、お母さまも空から喜んでくれると思います。

花まる学習会代表 高濱正伸