西郡コラム 『私の、算数・数学で学んだこと ①』

『私の、算数・数学で学んだこと ⓵』 2024年5月

 「九九」をなかなか覚えられず、風呂でも朝の便所でもブツブツと上の空で唱える。時間がたつと忘れ、また唱え、忘れ唱えを繰り返し少しずつ頭に入る。頭に残っても一方通行で、7×4は 「七二、十四」からつぶやいて28が出てくる。覚えられない、やりたくない、逃げたい。仕方なく続けているといつの間にか「九九」もスラスラ言えて、使えるようになっていた。
 自転車の乗り始めは何度も転ぶ。どうしてうまく乗れないのかと、もどかしくイラつく。続けていくと漕ぐ足とハンドルを操作する手と体のバランスがとれて、ふと乗れるようになる。一度乗れると「九九」同様、乗り方は忘れない。ことの始めは戸惑い、もどかしく、すぐにはできない。比べられる劣等感で意欲が萎えなければ、大方のことは諦めずに続ければ何とかなる。
 いまなら「多動」、じっとしていられない、自分の関心事を優先して人の話は聞けない、偏食で給食を残すと食べるまで居残りさせられる。体は小さく、ちょこまか衝動的な行動をとる。「九九」も四則計算も時間がかかったから算数が嫌いとかできないというわけではなく、学校の勉強にまともに向きあっていなかった。
 自分勝手な行動を繰り返すから担任もあきれる。1、2年生のときの担任に、にこやかな表情はなかった。冷めた視線で、困ったわねと言う顔が浮かぶ。疎んじられていることを感じない幼さ、意に介さない「多動」、親も放任だったから、勉強ができない劣等感、叱られても委縮するトラウマも残らなかった。
 興味、関心のおもむくままに行動するから、よく遊んだ。崖あり、藪あり、小川あり、湿地ありの、興味、関心、好奇心が湧きたてられる環境にいたから、遊びに夢中で帰るのが遅くなり、家に入れてもらえなかったが、次の日になると、すっかり忘れて、また同じことをする。この先に何があるのだろう、こうすればもっとおもしろくなる、これを作ってみようなどなど、遊びへの執着、遊ぶときの没頭、そして盛り上がる空想。叱られても叱られても、また遊ぶグリットなど、のちのち算数、数学に取り組むうえでの下地になった。
 小学3、4年生のときに、父が山間部の学校に赴任した。母は弟を連れて父についていった。道路を隔てた真向かいに住む、母方の祖父宅に私は預けられた。父、母、弟と離れて暮らすことに寂しさや辛さは感じなかったが、一連のことの流れを感情ぬきで傍観者のように眺めている、もう一人の自分が現れた。反省しない幼さが抜け、まわりを俯瞰するようになり、家族から離されたことは私の脱皮につながった。心身の発達は遅かったが、徐々に体幹らしい、体の芯ができてきたら、落ち着きのなさ、「多動もどき」も減ってきた。人の話を聞けるようになり、他人との距離を測れるようになり、学校の学習に向き合えるようになった。
 暗記が苦手なのは言語の獲得に問題があるからだということは、ずっと年をとってから悟ったことで、小・中学校の学習では致命傷にならず、何とかなった。落ち着きのなさ、自分本位で人の話を聞いていない、よく動くなどは多少、性格の一部として残った。
 美しく紐を結ぶ、上手に折り紙を折る、手の器用さはないが、数字を書くとき、手は素早くちょろちょろと動いた。暗記が苦手なら、計算は頭のなかで宙でやるより、まず、紙に書いた。目と手で計算すれば、暗記はいらない。頭に浮かんでくる数字を忘れないように、より素早く書くから、字は汚い。顧みる必要のないときは字の汚さはどうでもよく、頭の回転にどれだけ手の動きが追いつくかに集中する。頭と目と手が一体になった計算方法は、集中力を高める、私の脳トレになっていた。
 頭に浮かぶ数式を素早く書かないと忘れるから、一気に書く。ノートやテスト用紙の余白は、数字や式や図で埋めつくされた。数字が踊り、式が跳び、図が重なり、他人にはわからなくても自分がわかればいい。ただ、見返して確かめる必要があるときは、見やすく書く、コラム化するなど工夫した。自分のために、自分基準で、学習の仕方を作っていく。
 紙には筆算だけでなく、途中式を目で確認して書く。文章題をイメージするときの線分図、「三角形ABC…」図形問題の条件にそってイメージしながら描く図など、考えるときは手を動かした。解決の糸口を発見するためには、頭のなかで宙で考えるより、紙に描いて考える習慣が身についた。算数は手で考えること。のちに「手で考える算数」という道場の教材を作った。

西郡学習道場代表 西郡文啓