『創作にこめる小さな哲学』2025年1月
小学校への出張授業、その日のテーマは「旅をするペットボトル」。リサイクルアートやメールアート(郵便の仕組み)についても話し合い、子どもたちは意気揚々と創作に取り組みはじめました。彼らが制作に没頭している最中、校長先生が大きな袋を持って教室に入ってこられました。そのなかには、校長先生が用意してくださったさまざまな素材が詰まっていました。
素材の特徴をどう発見していくのか、子どもたちの観察力と想像力を最大限に引き出す「素材と出会う時間」はもう過ぎていたので一瞬躊躇したのですが、私はお礼を言いつつ袋のなかを確認し、そのなかから選んだものだけを取り出して、子どもたちにさっと紹介しました。
彼らにはもう自分なりのアイデアを膨らます力があると信じていたからです。
授業後、ある女の子が担任の先生とこんな会話をしました。
「どうしてRinせんせいは、全部の素材を見せなかったんだろう?」そう尋ねる彼女に、「どうしてだと思う?」と先生が問い返すと、彼女は少し考えて答えたそうです。
「アトリエは、“自分で”つくるからじゃない。それ(紹介しなかった素材)は、もともとつくられているから。ほかの人がつくったものだから」「“自分なり”につくったら、もっといいものがつくれると思う」
実はそのとき、私は袋のなかからキラキラしたツリーの飾り付け用の素材だけを選びました。具体的なデザインやイメージのあるクリスマスの装飾品は取り出さなかったのです。
この「素材を選ぶ」という判断に込めた意図を、1年生の彼女はすでに、自然と理解していたのだなと感じました。
創作の場で大切にしているのは「自由」です。それは自己対話や自己決定を繰り返しながら、自分の興味関心に基づいて新しいものを生み出していくプロセスです。
この体験を知っていると、自分で“自分なり”につくることのおもしろさ、工夫のしがい、試行錯誤の先にある達成感を、無視できなくなります。
花まるの年長コースで、教材を“自分の手で”つくってくる宿題が多く出るのは、そのプロセスを体験するためです。
「自分でつくったほうがもっといいものがつくれると思う」。彼女のその言葉は、人生そのものを表しているなと思いました。
同じ日、別の男の子が作品をつくっている姿を後ろから興味深く見ていると、彼がちらっと振り返ってこう言いました。
「Rinせんせいは、僕のファンなの?」冗談でも茶化すのでもなく「そうなんだね?」と確認するかのようなその言葉に、近くにいる大人は思わず笑いをこらえています。
私は小さな声で「そうだよ」と答えました。なるほど、彼の“作品”を「いいねえ」と心から肯定する私のまなざしが、“彼自身”への「大好きだよ」というメッセージとして伝わっているのでした。
子どもたちは、大人と同じように考え、葛藤し、達成感に喜びを感じて生きています。彼らとともに感動しながら、2025年も、ありのままの良さを認め合う教育について考えていきたいと思います。
井岡 由実(Rin)