『自己開示』2004年11月号
9月号で、花まる作文の指導目的と同時に“いい子の取り繕った作文”について書きました。今回は、「いい子」についてもう少し掘り下げてみたいと思います。
親の言われたまま「はい」とやるまじめな子だった、甘えるのが下手な、手のかからない子だった、幼いときから自己主張が少なく文句を言わず頑張るタイプ だった、など、悩みを抱えた親御さんが幼児期の子どもを形容する言葉は、総じて「いい子」です。どうして「いい子」なのに、問題が起こるのでしょう。
「愛を失いたくない」という不安は意外と人を縛るものです。例えば教師という立場のものが、悪いことは悪いと生徒を叱れない場合、言えば子どもに反逆され る、または嫌われる、評判が悪くなると思って遠慮する、などがそれです。本当のことを言えない、というのは自分自身を語れば人から愛想をつかされるのでは ないかという不安から来るものです。しかし、はっきりものが言えないということは、本当の意味で心がふれあっていないということです。
人間が親しくなっていくプロセスには、どうしても人に断られる危険があります。この危険を乗り越えて言いたいことをはっきりと言うことで親しくなれる。リ スクを冒す勇気がないから、親しくなれないのです。親しくなることで心が触れあっていけば、そこに生きるエネルギーが生まれる。これは親子でも友人同士で もみんな同じことです。
私がいちばん幸せな子だと思うのは、「お母さんなんか大っ嫌い」といえる子です。子どもに、そういうことを言ったとしても、なおかつ親子関係を失わないと いう安心感があるのだと思います。ところが「いい子」というのは、そんなことを言ったら親子関係を失ってしまうと思うから「いい子」でいるのです。結局、 「お母さんなんか大っ嫌い」といえる子のほうが、親子の気持ちは繋がっている。だから、次々に出てくる人生の色々な問題にも乗り越えていける力を持つので す。
「自己開示」つまり、ありのままの自分をさらけ出せるかということは、親子・家族関係にも適用する原理なのだと思います。自分のありのままを出していかな ければ親しさは生まれてこない。そして、自分自身をさらけ出しても大丈夫と思えることこそが、幸せになれる鍵なのだと思います。
次回も引き続き、“子ども達が幸せをつかむために大切なこと”というテーマでお話したいと思います。