『ありがとう』2007年 4月号
今年も出会いと別れの季節がやってきました。6年生は卒業の年。今年の卒業生は私が初年度に担当した1年生。なんと6年前の本部(土)教室の1年生 は、たった二人でした。6年間の彼らとの様々な思い出はいつでも鮮明にこころの引出しから取り出せます。寝食をともにしたサマースクール、雪国スクール。 花まるに通うのには家が遠いからと、わざわざ引越しをしてくれたこと。初めて書けたかわいい作文。
一人は受験をするため途中からFCへ。先日教室に挨拶に来てくれました。そしてもう一人は文武両道を貫き六年間花まるに在籍し、下の学 年からの信望もあついお兄さん役として、講師からの信頼もおかれていました。「難しい問題が解けたときって、すっきりする」そう言う彼のことばに、5年生 が「それ、すごい分かる」と返していたと講師から聞きました。私はそのことばを聞けて、本当に嬉しく思いました。学ぶこと考えることの醍醐味を知っていることは、彼の人生を豊かなものにしてくれるはずです。
この数年間で、十数名だった生徒が今では百名以上になり、教室の講師の数もたった二人から総勢十名になりました。花まるでは、一つの教室にたくさんの講師がいます。見学に来られる教育関係者などにまず驚かれる点ですが、私はこのシステムには二つのよい面があると思っています。
まず一つに、複数の目で子どもたちを見ることができるということ。今年も、ある男の子がやる気を失っていたときに、年長のときに彼を見ていた講師、サマースクールで一緒だった講師、遠足で引率した講師が彼のちょっとした異変に気づきます。授業の合間をぬってそれぞれの講師が彼にそっと声をかけ、ほめてあげ、見ているよと合図を送る。「来週はお休みしていた担当の講師が来るから元気になるかもしれないね」「私も気にしてみているようにしますね」と、講師皆で一人の子を見ることができるのです。
二つ目に、常に講師としての授業力を磨かれる状態にあるということ。同志としてのお互いの目を意識しあえるため、より理解しやすく指導するには、子どもたちの意欲を引き出すには、彼らのためを思ったなら叱らなければ、本当に意味のあることを伝えよう…と、いつでも切磋琢磨し、いい意味で刺激しあえる環境にいるのです。教育者として一番の敵は慣れ。惰性で授業をすることほどだめなことはない。我々自身が常に上昇し続けることで子どもたちの信頼を得、意味のある指導ができるのです。
私たちを常に成長させてくれる子どもたち、そしてこんなに意味のある、やりがいある仕事を一緒にできる講師の皆に、今年もまた感謝の気持ちでいっぱいです。
ずっと、ずっと教えられてきたのは私でした。新しい一年もまた楽しみです。
ありがとう。