Rinコラム 『楽しんで、やるということ』

『楽しんで、やるということ』2008年9月号

生まれてはじめてフラワーアレンジなるものをつくりました。
「大切なことは、楽しんでいるかということだと思う。だから好きな花を使うべきだ。」
その言葉は私に衝撃を与えました。幼い頃の私の姿がフラッシュバックしたのです。

子どものころから、なぜか「教えてもらうこと」が大嫌いでした。先生という立場になってはじめて、自分の足し算や割り算の方法が、オリジナル戦法であったと気付きました。きっと学校の先生に教えてもらうのがいやで、授業より先に自分なりのやり方で敢行した挙句、先生の話を聞かず修正しなかったに違いありません。同じ例は、リボン結びや折り紙の折り方など、気がつかないだけで、他にもあるかもしれません。

「やらされているのではないか」という疑念を抱くと我慢がならないし、「上手くやらなければならないのではないか」と感じると途方にくれました。何もかも自分でやったと思いたい―ただ単に我の強いわがままな(関西で言う‘きかん’)子だったのですが。そんな私が唯一、あたかも教えられていると分からないまま夢中になれたのは、図画工作でした。示唆に富んだものの言い方で、大事な点だけ教えてくれたら「(好きに)やっていいよ」と放ってくれた教室の先生の存在があったからです。今から思えば、ただ単に、難しい私の扱いを心得てくれていたのかもしれません。

大人になってもその性格は変わらず、「何かを教えてもらう」ことにはじめから抵抗があったのです。(それなのに教えることは大好きなのは不思議な話です)「いわれたことをやる」のにもいちいち疑問を抱く有様だったので、せねばならぬことには、こういうわけで、自分にとって意味があることだからやろう。などと心の中でぶつぶつと理由づけをして自分を納得させたものです。納得させるほうに時間がかかる自分に、少々うんざりすることもありました。しかし冒頭の一言は、さーっと頭の中の霧が晴らし、それからあとの私は素直な心で楽しめていました。

何をするにも楽しんでやることはすごく大切。

そしてどんなに嫌だと思ったことでも、それをやらなければならないことも人生にはあります。そういうときには、いかにして「自分なりに自分を楽しませて、やるか」その術を、子どもたちには(もちろんそこはオリジナル戦法で)掴んでほしいなと思います。

そのために私たち大人ができる最初のことは、その子が何を楽しいと感じているのか、または何に心を動かしているのか、それを知ること思います。そこからようやく、導けることが見えるはずです。どの子にも、目の輝く瞬間があるはずで、それを知っていてあげること、あなたはそれが得意なんだよと伝えてあげることほど、彼らの芽を伸ばす栄養はないと思います。
アレンジの様子はブログに載せました