『子どもの頃の、最初の記憶は何ですか』2008年11月号
最近とても興味深いテーマの本を読んだと知人が言い、そのテーマでおおいに盛り上がりました。それは、幼児、とくに小学校などの集団生活に入る以前の、私たちの「最初の記憶」に関する研究の本です。その場にいた20代から40代の大人みんなで、本の内容を知らないまま自分の「最初の記憶」について語りました。Aさんは「母親と二人、雪の斜面を目を合わせて笑いあいながら滑り降りたこと。あと、おなべを棒でたたいて音を鳴らして遊んだり、自分の声を録音してるうちに勝手な歌を作って遊んでいる」記憶。Bさんは、「お姉さんのスカートのすそ上げを4歳のときにはじめてした」記憶、Cさんは、「はじめてハサミを使えるようになったことがうれしくて、切って遊んでいるうちに自分のスカートをぎざぎざにしてしまい泣いている」記憶でした。その子どもたちの今の職業と 照らし合わせて、びっくりしました。Aさんが演奏家、Bさんは古着屋の店長、Cさんは私と一緒に創作活動のユニットをしている保育士。私たちの「最初の記憶」はこうして後々の人生に必ず影響を与えているものなのです。もしも人生で岐路にたったときは、そこに立ち返ればいいのではないか、そんなことを話しました。みなさんの最初の記憶は、何だったでしょうか。
さて、9月27日から10月26日までの約一ヶ月間、ギャラリーokarina(オカリナ)Bで写真展示やインスタレーション、生演奏などのイベントなどを開催しています。ちなみに前述の魅力溢れる3人も、設立からの一年半、オカリナBに関わってイベントなどを一緒に創りあげた人達です。
これを機に、花まる学習会のメセナ活動のひとつ「アソビゴコロと創造性の発信地」オカリナBを体感してくださったたくさんの保護者のみなさん、子どもたち、本当にありがとうございました。「家に帰ったら、こういうの作ろう」という親子の会話や、熱心に作品をカメラで撮る子どもの姿を見て、伝えたいことはこういうことなのだ、と改めて思いました。
創造すること、表現することの楽しさ、身のまわりにあるどんなものでも、発想を変えれば素敵な作品に生まれ変わるということ、もう役目を終えたものでも大切にする視点。そうして何かを作り出す過程は、自分だけの世界観を持ち続けることと同義であり、それこそが本当の幸せだということ。芸術はもっと身近に日常の中に溢れていて、例えば読書のように楽しんで自分を豊かにし、時には喜びを分かち合い、助けてくれるものとして、生活の一部であるべきだと思います。
また、近い将来にとずっとあたためている、アートを介した教育をやりたいという思いも強くしました。遊戯療法でもなく、思考実験でもなく、オリジナルなものを。私自身がそうであったように、それを求めている子どもたちがいることは現場でも感じています。発想の転換と創造性、アイデアと試行錯誤のみちあふれた体験のきっかけ作りになれば、そして、それが将来の生きる力につながれば本望です。
今年度中には、ワークショップのような形で実験的にはじめたいと考えています。作品に触れたり、感動してくれた子どもたちを中心にこちらから声をかけるかもしれません。興味のある方は是非一度オカリナに遊びに来てみてくださいね。