Rinコラム 『創作と教育と音楽と』

『創作と教育と音楽と』2009年10月号

私にとって、作ることは生きることです。

ピアノ教室に、クレヨンと画用紙を持っては行くけど楽譜は忘れるというような子どもでした。

母が、ピアノではなく造形教室に進路変更してくれたことを、この年になっても感謝しています。幼児期に楽しいと感じていたこと、没頭していたことは、その人の人生の道筋を表しているものだ、という話を、以前「最初の記憶は何ですか?」(08年11月号)にも書きました。

多くの保護者の方と面談で話す中で、いつも私が気を配っているのはこのことです。身近な大人が、子どもたちが本当に好きだと思っていることにどれだけ注意を払ってみていてあげているかどうかは、非常に大切だと思います。そして、そのことをことばにして本人に伝えてあげることも。

なぜなら、私が今の仕事をしている理由は、一緒に子ども相手にアートを教えていた友人から、「あなたは子どもと接することがとても向いている」といわれたことがきっかけだからです。人からことばにして言ってもらえることで、自分自身の強みに気づくこともあるのだと知りました。

表現していく術としてだけ、創作を利用していた私が、それを人にも伝えたいと思うようになったのは、6年前、相談室Saliで子どもたちやその家族のカウンセリングをしていたころのことでした。本当の幸せとは、人間一人ひとりのこころの中にしか存在しないと気づいたからです。

誰かとの比較では得られず、競争で勝ち取るものでもない。自分自身と、そのこころを大切に扱うことができて、そこではじめて幸せだと感じることが出来る。そのためには、「何が好きで何をやりたいのか」に敏感でなければいけないと思ったのです。同時に、「いまここにあるもので、自分自身をいつでも楽しませることができる」技も。子どもの近くにいる大人が、それを体で見せよう、と。

母親は、自身も私たち子どもが大きくなったころには突然フランス語を勉強しだしたり(いまだに動機がわかりません)、マラソンに出たかと思えば、本格的な雪山に登ったりする、自由な人です。「学問は、自分自身の内面を深めるためであって、“それを使って”生きていかなくていい。学びたいと思ったことを学べば、それがあなたの血肉になる」という価値観は、そんな彼女の後ろ姿から自然と感じ取り、私も歩む道の幅を狭めずにきたのだと思います。

 

最近私の芸術活動について、面談をすると必ず質問されるので、公の場を借りてお伝えしてみました。音楽活動「カリンバ」もようやく今年、CDを作りました。たくさんの人に聞いてもらいたいので、11月29日の「Shining Hearts’ Party vo.7」で少しうたいます。ラジオでも流れている、あの曲です。ぜひ聞いてみてください

 

 

詳細は、Karinbaブログ⇒http://rin-pictures.blogspot.com/

 

また、11/20発売の「カメラ日和」28号に、創作活動のインタビュー記事が掲載されます。そこでも活動について詳しく触れています。