高校生や大学受験生を教えていた31歳のころ、夏の息抜きのつもりで、アルバイト雑誌で見つけ申し込みました。ニックネームはマンマン。「やる気満々のマンマンでーす!」と大声を張り上げ、プールで鬼ごっこをし、キャンプファイヤーでパンダに入り、歌って踊って走って遊びぬきました。
そして、ハートを射ぬかれました。年長児たちの、居るだけできれいで可愛くて愛おしい存在感。どんな仕草をしても、ただもう可愛い。木陰での昼食のときなど、「マンマンはお弁当ないの?」と聞かれる。スタッフはあとでササッと食べることになっているのですが、「そうなんだよ。忘れちゃった」と言ってみたら、「じゃあ、あげる」とおかずの一つをくれる。何人も何人も。指の動き、優しい心…。もうそういう一つひとつが、受験の厳しい戦場から夢の世界に入り込んだように感じて、夜中には日記を10ページくらい書いたことを記憶しています。
花まるでは私の代名詞のようになりましたが、クワガタ体操も、初めて一泊した朝、田宮さんがやっていたのに感動し、翌朝には「私にもできると思います」と申し出て、以後ずっとやらせてもらったのでした。「今まで東大生はどいつもこいつも理屈ばかり言って使えなかったが、君は見どころがあるよ」と可愛がってくださり、一週間、一泊ずつ7つの園を担当しました。そして、自分の中で何かが変わりました。
当時、息抜きせざるを得ないほどに、実は進路について迷っていたのです。芸術(音楽)か、教育かだ。予備校講師?もう一度医学部を受けなおすという道もあるぞ、バイト先ではどこも「うちに就職しろ」と言ってくれたし、それぞれに面白かった…。まだ大学院に在籍していて、教授からは特定の就職先を勧められてもいました。
しかし、そんな拡散した悩みが、たちまち一つの大きな渦になり、心が決まりました。やっぱり子どもたちといよう!いつかオリジナルのサマースクールを作ろう。長年感じてきた「ひきこもり」「思考力の低下」「生きる力の低下」「大人になりきれない親」などなどの問題を全部解決するような、人がやったことのない教育を考え出してみよう…。
それから3年近く、キンダーの仕事を夏ごとにやり、複数の塾で様々な学年の子の指導をし、卒園生の学習の面倒をみているある幼稚園のお手伝いをして考える中で、設計図は整いました。33歳の終りに人の力を借りて会社設立。低学年の野外体験や思考力指導を軸とした花まる学習会を立ち上げたのでした。
今思えば、田宮さんは、迷いのジャングルで出くわし、「おいそこの。こっちの道はどうだね。楽しいよ!」と木の上から話しかけてきた森の妖精のようでもありました。
田宮さんとの出会いがなければ、花まるもサマーも存在しませんでした。
その田宮さんが亡くなったと聞いたけれど、授業でお通夜に、講演で告別式に出られない。何とかお顔だけは拝みたいと、講演会が終わり次第走って電車に飛び乗り、乗り換えて房総の端にある町の火葬場にたどり着きました。突然夏が来たような日で、汗だくで走っていくと、今まさに扉をしめるところ。1分も遅れたら間に合わなかったでしょう。もう一度棺を引き出してくれたので、その顔に「ありがとうございました。あなたのおかげで、子どもたちといられる楽しい人生です」とお礼を言いました。
花まる学習会代表 高濱正伸