高濱コラム 2011年 4月号

 昔のことですが、山好きの知人が登山は単独行に限ると言うのを聞いて、「雪崩とかクマとか幽霊とか恐くないの?」と私が尋ねると、こう言いました。「自然なんてちゃんと知識を持って準備をしていれば恐くないし、動物だって彼等の生態を知っていれば全く恐れる必要はない。幽霊なんているわけない。まあ、唯一恐いものと言えば『人間』だね」と。海外などに行くと山賊もいる。犯罪者で山に逃げ込んでいるようなのがいないとは限らない。理由もなく人を傷つけたがっている危ない人だって、たまにいるからね、と。

 今回の大震災で、ああ同じだなと感じました。地震国日本。相当に甚だしくとも、自然災害だけであれば、諦観も免疫もある。圧倒的にかなわない大自然の威力の前で頭をたれ、身内を失った人のために悲しみを分かち合い、やがて復興へと歩みを強めていく。それはできるのだが、人災はややこしい。人間のために、ことが面倒になっている。

 「万が一の危険」を想像することを回避して、もし起こった場合への事後対策の準備を全くしていなかった人間。実際に起こってみたら、狼狽だけが伝わってきて決断やスマートな判断力が伝わらない人間。組織のトップとして役割を果たせていない人間。「安全であることを論述せよ」という問いの成績優秀者かもしれないが、人としての哲学や頼りがいを感じないために、「安全だ」と言えば言うほどこちらが心配になる、専門家と称する人間。 悲惨な光景や、「あいつひどいね」の糾弾、不安をあおる大見出しで耳目を引くという、平時の商売感覚から抜けられず、「必要で正しい情報」を伝えるどころか、社会不安の震源になっている人間。人は、いざというときに、その人の本当の姿が見えると言いますが、まさに「何だ、ついたての裏側は空っぽだったんだ」と、正体を見せられたようでした。

 一方で、これほどの状況でも全体として最悪の混乱状態にならなかったのは、ネットの力が大きかったと思います。最も信頼できる情報を、旧メディア(ラジオはがんばっていたと思いますが)ではなくweb上から得た人は多いのではないでしょうか。私も、テレビの津波映像や原発の爆発の映像で混乱し判断基準を失いましたが、信頼できる友人からの「私は、このサイトを頼りにしている」とか「このHPは勉強になる」という意見を参考に、ネット上の貴重な情報を収集し、花まるとしての判断をくだしました。

 また、そういう仲間がいることが、どれほど大きい力になるかということも痛感しました。正直、父親として家族を疎開させるべきかを迷った瞬間はありましたが、直接の友だちである毒物の専門家や地震の専門家から意見を聞いて、見通しが立ちました。

 『13歳のキミへ』(実務教育出版)に、「何に傷ついたかを考える」という項目があります。悩みや不安の渦中って、実は混乱しているだけで、明確に言葉にすると楽になれるということです。「放射能が何だか恐い(知識不足)」「どのくらい汚染が広がっているのか心配(情報不足)」「もしかして大変な状況になるのかも(思い込み・憶測・イメージによる不安)」。まず言葉にすることが大切だし、こういう状況から解放されるためにも、「信頼できる正しい情報」を手に入れるための、友だちネットワークは重要だなと感じました。

 さて、その一人に自衛隊の幹部がいて、3日目に、ボランティアとして入りたいのだがどう思うかと尋ねたところ、「今は危険」とピシャリと諌められました。そんな彼に後から「みんな自衛隊を頼りにしているよ、がんばれ」と応援メッセージを送ったところ、「大変だけど、被災者のことを考えれば何でもないよ」と返事が来ました。乱すのも人ですが、支えるのも人。こういう無名の誠実・献身によって、必ず復興への道を歩んでいけるだろうし、自分もそういう一人でありたいと強く思いました。

花まる学習会代表 高濱正伸