『結ぶ~障がい者と健常者~』2011年10月
青森に講演に行きました。改札を出たところで主催のNPOのプラカードを持った方を見つけたので、あれだと近づいてみてビックリしました。女性が二人、その二人ともメガネの上に「津軽美人」というカードを乗せているのです。それらしき待ち合わせルールは窓口となった部下から聞いてはいたのですが、まさかこういうこととはと驚きました。そうしてその遊び心に感激し、一瞬で「今日は楽しいぞ」という気持ちになれました。会場まで一時間の車中も話に花が咲きました。その一人Sさんは、司会を任され緊張の中、家で練習を重ねた。4年と年長の娘二人に応援でぬいぐるみまで並べてその前で台詞を練習した。質問コーナーで「それでは高濱先生にどなたか質問ありますか」と聞く。観客役の長女が「好きなモノはなんですか」と発言。すると6歳の次女が私の役をやって、こう答えたそうです。「小さいころ好きだったものでいいですか。ドラえもんです」と。
初めての場所で最初に出会った人の印象は、その土地のイメージを決めるかもしれません。私は、会ったこともない娘さんの様子、家族の幸福を思い浮かべ、青森がとても良い場所だと感じました。会場に到着すると、出迎えのお二人に負けない魅力的なお母さま方が働いていらっしゃいました。中でも年上の方々は、親子劇場でつながりを作ったのだそうです。
花まるグループでは、シャイニングハーツパーティというコンサートを開いています。障害を抱えた子とその家族が、健常の家族も含めて一緒に聞ける音楽会をと、もう10年近く続けていますが、その主催者である「NPO法人子育て応援隊むぎぐみ」も、お母さん同士の子育て支援 サークルを母体としていて、特に立ち上げの時期、親子劇場で活躍していた方が何人もいました。個性的で強くてたくましく行動力ある女性群。きっと、日本中で、子育てで仕事が主という生活ではなくなったけれど、もとの力の高い方たちがたくさんいて、こうやって地域の若いお母さんを支えてきたのだろうと感じました。
さて、その「むぎぐみ」の社内的な中心であり、療育支援部門Flosをきりもりしている男性社員が、社員同士で発表する講演形式の研修でこういう事例を出しました。小学1年生の脳性麻痺の子、A君の例です。彼はある県では周りの人にも恵まれて、学校にも楽しく通えていたのだが、関東に越してきたとたんに暗くて表情の無い状態になった。そのきっかけは、何と学校の先生の一言だった。最初の面談で、つれない態度だった担任となる先生が、母親に向かって「だって、こんな子、なーんもできないでしょ」と言ったからだった。聞く分には理解できるA君は、明らかに気落ちして何もかにも自信をなくしていった…。
その先生を、何て駄目な人だと追及するのは簡単ですが、私はこう思います。その先生こそ障がいの人と触れるという経験を奪われたまま大人になってしまった、気の毒な人だと。ちょっとそういう人に触れれば、いかにいろいろなことができるかということくらいすぐわかるはずですから、本当に全く触れたことがなかったのでしょう。
親世代のこの問題は、始終ぶつかります。例えば埼玉県には支援籍(特別支援学校の子も年に数度自宅に近い小学校にもクラス メートとして入れる)といういわゆるインクルージョンのための素晴らしい制度があるのですが、活発ではありません。何故なら、経験なく育ったために杞憂とも言える警戒をして受け入れに積極的になれない先生たちの問題と、経験なく育ったために「どうせこんな子が健常の子の中に入っても、迷惑なだけ」と萎縮してしまっている親たちの問題が、二重によこたわっているからです。
戦後の貧困からの復興期には、効率主義一本の隔離政策で動いてきたのは、ある程度やむをえないとしても、もう十分に私たちは「豊かに生きる」という意味を考えて子どもたちに経験を与える時期でしょう。シャイニングハーツパーティもそういう場のひとつです。
花まる学習会代表 高濱正伸