『天職とキャリアデザイン』 2019年10月
「この仕事は私の天職です」という方にお会いすると感心するばかりです。私自身は、あまり考えもせず大学に進み、4年生になって初めて「就職どうしようかな」と思うような人間でしたので、マスコミや広告、政治などなんとなく華やかに見える業界を物色しながらも、結局は就職もせず、今でいうフリーターをやっていました。しかし、同期がどんどん社会で活躍しているのを見て、自分もそろそろちゃんと働こうと思い、新聞の求人欄で目に付いたのが、塾講師の募集だったのです。もともとは教員の家庭で育った人間ですから、教育にはもともと関心がありました。そのせいか、仕事が嫌になったことは一度もありませんが、「自分が本当にやりたかったことは何か、天職とは何か」については、いまだ答えが出ていないような気がします。
先日、五木寛之氏が作家の色川武大氏と北海道旅行に出かけた時のエピソードが雑誌に載っていました。色川氏については、「麻雀放浪記」の作者(ペンネームは阿佐田哲也)と言えば、おわかりになる方もいらっしゃるかもしれません。この「麻雀放浪記」は、色川氏自身のばくち打ちの経験をもとに書かれた自伝的小説であり、作家としての才能だけでなく、「神様」と言われるほどの麻雀の腕とその自由奔放さで知られた人物でもありました。その彼が五木氏との旅の途中で「ぼくは、郵便配達みたいな端的に人の役に立つような普通の職業に就きたかった」とポツンともらしたというのです。昭和最後の無頼派として波乱万丈な人生を歩んできた色川氏らしい件なのですが、「人の役に立つ」という点では、直木賞、川端康成文学賞など多くの功績を残す中で、直接的ではなくとも、その数々の作品を通して多くの人の人生に影響を与えたのではないかと思うのです。私も彼の作品に魅了された一人でした。
別の日の学校説明会で、進路指導担当の先生が、「人間は自分で目指したものを、しばしば別の形で実現してしまう存在である」という吉本隆明氏の言葉を引用していました。もともとは、学研アソシエの大堀精一氏が、高校の進路指導の先生からの「まじめで勉強熱心だが、『本当にやりたいことがみつからない』という生徒にどう答えるべきか」という相談への回答の中で使っていたものなのですが、私はその言葉を聞いて、「まさにそれだ」と膝を打ちました。
「世の中で、職業に就いている人の多くは初めからそうなりたいと思って今の仕事に就いているわけではない。では、その人たちのほとんどが失望の人生を送っているかと言えば、そんなことはない。それは本人が気づかないところで、自分の目指していたものを『別の形で実現してしまう』からなのだ。自分の希望がかなう人はほとんどいない。でも、それは希望を持とうとすることが無意味ではなく、希望を求めていく過程が大事なのだ。探し、迷い、失敗する――その経験をすることで、それまで見えなかったものが少しずつ見えてくる。そこで、人は自分が生きることの意味に出会う。『目指したものを別の形で実現してしまう』とは、そういうことだ。ただし、それは、『努力し、考え続ける』という姿勢を失わないことが前提になる。」
※大堀精一「キャリア教育の現状を考える」からの抜粋
私は、素直さを忘れずに生きていれば結局はたどり着くところは同じなのではないかと思っています。素直とは、自分の取り巻く人や環境に対してであり、自分の思いに対してです。やりたいことが見つからないのであれば、焦らずに出合うまで待つという選択もあります。そういう場合は、自分の関心に一番近そうなものをまずやってみる。そこには何かしら面白いと思うものがあるはずです。それをコツコツと続けていく。そうすれば道は途切れることはありません。あとは運否天賦。天の導きに身を任せていれば、いつか自分の目指していたものを気づかないうちに実現してしまっているのかもしれません。
AIやロボットが仕事を代替する時代、先が見えない時代だからこそ、流れに身をゆだねていくキャリア志向も一つの考え方だと思います。それを新しいキャリアデザインの形として「キャリアドリフト」と呼ぶ人もいます。
自分の本当にやりたいことは、見つけるものではなく自分で積み上げていった先で出合うものなのかもしれません。子どもたちにはあまり早くから文系・理系と決めつけず、じっくりと自分の興味・関心を広げていってほしいと思います。
スクールFC代表 松島伸浩