『できないから、楽しい』 2019年1月
問題が分からないとき、イライラして「もういやだ!」となってしまう子どももいる。しかし、それを乗り越えて何かを理解するという成功体験があると、わからないことにイライラしなくなる。これは親も同じ。
ある研究では、低所得者ほど「これはこうでしょ!」と直接的に子どもへ正解を教えてしまうのに対し、裕福な家庭では「もっとよく見て。これはどうなると思う?」と、示唆的に考えさせるような会話をする傾向があるそうだ。問題を解けなければ、叱る。正解すれば、褒める。そういった教え方だと、子どもはできないことに焦りや不安を感じてしまう。一方、成功体験のある子どもは、わからないことそのものを楽しく感じる。その差が、将来の学力の差、延いては生きる力の差になってくると思う。
どんなときも、「分からないから、面白いんだよ」と繰り返し教えてあげましょう。その上で、できるようになったら、一緒に喜びましょう。
「できても、できなくても、今自分の頭を使って取り組んでいることが学習をしていることだ」と、ポジティブな言葉をかけてあげることで、子どもにとって学ぶこと自体、楽しいものになっていく。学習を自分事として捉えられれば、伸びない子はいない。
大人の顔色を伺う子や褒められることを求めている子は、ある時点までは優等生であることが多い。親や先生が求めているものを察することに長けているので、先生からの評価が加味された成績であり、通知表や内申書の評点は高い。ただ、その後伸び悩むケースも多い。ある時点まで順調に進むことができても、その後の段階で壁にぶつかり、挫折する。年齢が高いほど、ポッキリ折れる。外からの評価だけでは、自分を見失う。大人に迎合されなくても、自分をきちんと見て、評価してくれる人がいるのだということに、早いうちに気づかせてあげることこそ、重要だ。まわりの評価ばかりを気にする子は、思春期に弱さが出てくる。そういう子は“できない自分”を人に知られることを怖れ、“できたふり”をするようになる。無意識に自己防衛をする。その端的な例が、カンニングだ。
できない自分を取りつくろうことに必死になり、嘘をついてまでも、できている自分を演じようとしてしまう。できない自分に向き合うことができず、できたふりをしてしまう子に対して、“できない自分”に直面させることが、私たちのやることだ。認めたくない自分を直視し、泣き崩れて、そこから這い上がるしかないという思いが自分の中に生まれたとき、初めて自分事としての学習に取り組めるようになる。
授業ではわかるように教えることを私たちは目指す。しかし、それは先生の言ったことが、わかっただけ。人に教えられてわかるということと、自分の実力でできることとは、開きがある。先生の言うことはわかった。でも、自分一人でできるかどうか不安を感じる子の方が伸びる。できているのか。わかっているのか。自分に正直に向き合って自分を知る。「できないから、楽しい」は、シンプルな学習観だが、高度な学習の次元の話でもある。
西郡学習道場代表 西郡文啓