『何回、書けばいいのですか?』 2019年5月
学習を親や先生に“やらされている”ものであると子どもが捉えている限り、学力は伸びない。教えてもらってもいい。ただ、それは最後の最後。自ら考え、能動的に掴み取ったものしか、自分の中には残らない。当事者意識を持って主体的に、つまり“自分事"として学習に取り組むことができて初めて、そこに到達することができる。“自分事"として学ぶということは、自分の学び方を自分でつくっていくということ。西郡学習道場の目指す教育方針もここにある。
漢字の書き取りを課題にすると「先生、書き取りは何回すればいいんですか?」と聞いてくる子がよくいる。しかし、何回書けば覚えられるかは、ある意味持って生まれた能力次第であり、その後の学習環境などの影響を受けるため、それぞれ違うもの。3回書いただけで完全に覚えてしまう子もいれば、何度も何度も書いてようやく間違えずに書けるようになる子もいる。ただ書いているだけでは、覚えられない。意識的に覚えようとするかどうか、本当に頭に入っているかを自分自身が問うて、自分にとって必要な練習回数を自分自身で見極める。時間ともに忘却するからこそ、定期的に見直す。効率がいいのは、間違えた漢字だけチェックして、集中的にその漢字だけを覚える。こういった工夫を積み重ねることで、自分の持って生まれた能力と相談しながら、自分自身の学習法を身に付けていく。
覚えているかいないか、分かっているかいないか、自分に正直になることで、自分自身の学習スタイルをつくりあげることができる。自分という人間の能力を知って、初めて学習の基軸をつくることができる。正直であれ。美徳ではなく、自分に正直でないと、軸はつくれない。嘘や誤魔化しは、自分の感覚が貧しくなるからだ。
生きていくうえで起こる問題、自分に降りかかる問題は、すべて自分で解決するしかない。決まった公式もなければ、誰かが教えてくれるわけでもない。自分なりの学び方を持っていれば、人生で直面するさまざまな課題に対応することができる。生きていくために学ぶ、その学びが生きる力になる。社会に出るまで学校で学習する期間は、その一生ものの基軸をつくるためのものである。たかが漢字の学習だが、この本質を知れば、生きる力の基礎を培うことができる。
学習に対する考え方の基本は、「自分のできないことを、できるようにすること」だ。自分のできないことがわかってこそ、それをできるようにするにはどうすればいいかを考えることができる。記憶力が乏しければ、メモを取る。克服したい箇所があれば、鍛えるか、諦めてそれに代わるものを伸ばすか、足りないものを別のもので補う。どの方法をとるかも、自分次第。自分を知らないままでいると、自分を過大評価してプライドだけが高くなる。まずは、自分と向き合うこと。
西郡学習道場代表 西郡文啓