『本を読もう』 2022年10月
「読書をしましょう」という話を生徒によくする。ただ、私が小学校のときを振り返ってみると、本を読むより外遊び、水泳、野球といった体を動かすことに夢中で、読書感想文を書かなくてはいけないから本を読んだとか、興味のあることを調べるために図鑑を読んだとか、この程度の読書だった。私が本に出合ったのは高校生になってから。自分の進路や人間関係に迷ったり、悩んだりしたとき、貪るように小説を読んだ。いま思えば、迷いや悩みに正面から向き合えず、現実から逃避するための読書だった。テスト前など勉強しなければいけないというときほど小説はよく読めた。よく読んだ割には自分勝手な読み方だったので、国語の読解力がついたわけではなかった。
毎日読書をしました、本を読むのが好きでした、本に感動しました、とは言えないが、小学生のときからもっと本を読んでおけばよかった、読解力をつけておけばよかったという私の反省を込めて、子どもたちには「本を読もう、読書を習慣にしよう」と伝えている。
本を読むのとゲームをするのとでは、どちらが自分の頭を鍛える?ゲームをやると刺激的な映像が音響とともに頭にどんどん入ってくる。思いもしない、想像豊かな映像に魅せられ、神経を覚醒させ、充実したときを過ごす。刺激的で飽きない映像が向こうから入ってくるから、楽に取り組める。映像は見てのまま、わかりやすい。何が起こっているのか、ニュースも映像を流せばわかりやすい。
本を読むのは、文字を追いかけて、そこから自分で映像を作る。それが面倒だから、活字離れと言われる。与えられた映像ではなく、文字や文章から自ら映像を作り出す。面倒でも本に書いてある世界を自分で作れるからおもしろい。受け身でなく自分で作ることが大切。あなたが作るから、あなたの頭を鍛える。文字や文章から映像を描くのは想像力。本を読むことが想像力を高める。
本に向き合う、文字をしっかり追って、場面や心情を想像する。時間を忘れて本を読み耽る。当然、集中力は高まる。好きなことをやり始めると、それにのめり込み、没頭する。好奇心はさらに集中力を高める。集中力の深さが、学習のエンジンになる。本好きな人は、集中力を高めている。
わからない言葉は辞書を引いて調べる。調べることは知識として言葉を獲得する学習の基本だ。本をたくさん読むことで言葉を自然と獲得する。言葉がどのような文脈で使われているかを推測できる。「転校する友との別れを惜しむ」と書いてあれば「惜しむ」とう漢字を知らなくても、「別れ」から残念に思っているのだろうぐらいの推測はできる。知らない言葉が出てきても前後の文脈で意味を想像して読んでいる。辞書に載っているような意味で、その言葉は知らなくとも、本を多く読むことでその言葉の使い方を知る。文脈で推測して、それから辞書を引けば、その言葉の理解がより深まる。
文法の知識がなくても、文の決まりに従って書かれた文章に読み慣れる。文法用語、主語・述語、修飾・被修飾語、接続語などを知らなくても、文の流れで言葉と言葉、文と文との関係性を読み慣れる。多くの文例を体感してから文法用語を知る方がよく理解できる。多くの言葉や文に見慣れることで言葉の使い方、文の作り方を知る。自分が文を書くときのひな型になる。何よりも頻度。多くの言葉や文を読むことで言語の感覚を磨く。
プラモデルでも棚でも組み立てるときには説明書通りに作る。説明書通りが読解だ。説明文、論説文の読解では、書かれた文章の伝えたいこと、著者が言いたいことを正確に読み取る。正確に読み取ることで、自分では気づかなかったものの見方や考え方を学ぶ。国語の授業では、算数のように決まった法則にしたがった読解の仕方を学ぶ。読解力が読書量に比例しないときがあるのは、自分勝手に読むから。
物語や小説の読解は場面を描き、登場人物の心の動きや行動の理由を読み解く。読み解くことで感動が生まれる。読書は登場人物の喜怒哀楽を読み取り、人の豊かな感情を育むことになる。作者の描いた世界を読み取ることが読解だが、作者の世界にとらわれず、自分の好きなように読んでみることもおもしろい。
図書館(室)や書店に行ってみよう。棚に並んでいる本、小説・物語、歴史、図鑑、なんでもいいから興味が持てそうな本を自分で選び、読んでみよう。役に立たない本はない。
西郡学習道場代表 西郡文啓