西郡コラム 『親の子離れ、子の親離れ』

『親の子離れ、子の親離れ』 2024年10月

 障がいのある子を持つ母親の話です。障がいを持つ子どもの世話は親がしなくてはいけないと思い、ずっと付きっ切りで世話して育ててきた。その子が思春期に入ると、ことごとく母親に反発するようになった。母親も我慢できずに、きつい言葉を返してしまう。次第に親子関係は最悪になり、憎しみさえ覚え、息苦しくなってきた。
 母親は、最後の手段として生活面で不都合のないようヘルパーを手配するなどの準備をしたうえで、子どもをおいて家を出ることにした。障がいのある子をひとりにすることへの不安、後ろめたい気持ちもあり、葛藤の末の決断だった。
 思いつめた末の究極の“荒治療”が功を奏して、母親と離れることで、その子は初めて自分のことを自力でやらなければならないと覚悟して、できることを増やしていった。同時に、いつも世話をしてくれていた親のありがたみを痛感することになった。結果的に、子どもは自立のきっかけをつかみ、親子の関係も良好なものになった。障がいのある子だから世話をするのは親の責務、当然のことだとずっと考えていた。子どもと離れる気持ちが親にないから、子どもも自立できなかったのだと思うようになった。
 親がたっぷりの愛情を子どもに与え、子どもがそれを十分に受け止める。自立するための裏打ちとして十分な依存は必要だ。しかし、どこかで親が子どもを離してあげることを考えないと、子どもは自立できない。子育ての究極は、親が子離れすることにある。
 花まる学習会には公教育に貢献している部署があり、取り組みの一つに「山村留学支援」がある。子どもを親元から離して、自立を促す。劇的に子どもの成長が見られるのが山村留学だ。長野県の北相木村では、地域外の子どもを原則1年間、山村留学生として受け入れるプログラムを実施している。自然豊かな環境のなかで、子どもたちは地元の小学校に通い、集団生活や農家でのホームステイなどを経験しながら過ごす。私たち花まる学習会は2010年から村と提携して、山村留学の案内と促進に協力している。小学校には、花まる学習会の指導法や教材を提供して支援している。
 留学当初は親元を離れる寂しさはもちろんのこと、テレビもゲームもコンビニもない環境に、都会から来た子どもたちの多くは戸惑い、ホームシックになる。村の人たちに温かく迎えられ、地元の子どもたちや留学生仲間たちと思い切り遊び、ときには思い切り揉めて絆を深めながら過ごすうち、どの子の表情も目に見えて生き生きとしてくる。初めて村に向かうとき、バスのなかで不安がって泣いていた子が、留学期間が終わりに近づく頃には、「まだ頑張りたいことがあるから戻りたくない」と、親に泣いて訴えるといったこともよくあるそうだ。
 子どもの様子を見るために村を訪れた保護者は、授業で体を乗り出すようにして積極的に手を挙げていたり、熱心に下級生の面倒を見ていたり、村の人が教えてくれる太鼓や踊りに熱心に打ち込んでいたり、すっかりたくましくなっているわが子の姿に驚く。
 最初は小学生の子どもを親元から離すことに不安を感じていた保護者も、子どもが親を恋しがらなくなることに寂しさを感じつつ、次第にその成長ぶりを頼もしく感じるようになる。「離れたことで、親子の絆をいままで以上に強く感じるようになった」「子どもの表面的な部分ではなく、内面を見ようとするようになった」と保護者は話す。山村留学という形での子離れは、想像以上の変化を、親と子の両方にもたらす。
 山村留学したある男の子の母親は、彼が帰ってきてから家のなかのある異変に気づいた。トイレがいつもピカピカなのだ。不思議に思っていたところ、その子が黙って掃除していたことを知り、とても驚いた。山村留学中に子どもたちが生活する施設では、大人は子どもたちに対して掃除をしなさいとは言わない。汚いままでは困ってしまうので、子どもたちは自分たちで分担を決めて掃除をする。家ではトイレが汚くても、そのうちにお母さんが掃除してくれる。山村留学では汚いことに気づいたら自分たちで掃除するしかない。その男の子も山村留学中の生活で、「自分でどうにかすること」が当たり前になっていた。それが家のトイレを自発的に掃除することにつながった。
 そして、もうひとつの大きな変化は、母親の表情がとてもにこやかになったことだ。以前の母親は子どもに対して過干渉気味で、子どもの教育に関していつもキリキリしていた。子どもとの距離があまりにも近くなり過ぎていた。山村留学で子どもと離れたことでちょうどいい距離感になり、帰ってきたわが子の自立した様子を見て、母親はすっかり精神的に安定するようになった。
 親が先に逝くのが通常の順番。親離れ、子離れは自然な流れだ。

西郡学習道場代表 西郡文啓