西郡コラム 『がむしゃらって、どうすればいいのですか?』

『がむしゃらって、どうすればいいのですか?』 2024年12月

 「聞きたいことが…あります」
 中学受験まで2か月を切り、自学室で学習をしていた小学6年生の女子生徒は思い詰めた顔をして、やっと聞き取れる声量で私に呼びかけてきた。感情の揺れが大きく、それが表情にでる生徒だけに、教科の質問とは違うようだと悟った。小学生にとって初めての受験。彼女に限らず、合格の希望と裏返しの不安や迷いに揺れながら学習している。彼女らの不安や迷いを受け止めて、気持ちを切り替えさせるのも大切な受験指導だ。
 彼女はもう涙目になっていた。言葉が見つからないのか、思いが詰まって言葉が出ないのか、切り出せない。「どうした、言ってごらん」何でも聞きますよ、やわらかい態度でごく平穏に話しかけた。
 模試の結果について、指導する担当者からフィードバックがあった。散々な点数を取ってしまい、希望校の合格には程遠く、思い描いていた中学での学校生活が崩れた。入試まで時間がない。このままでは合格できないと厳しい現実を突きつけられ、学習への取り組みの浅さ、甘さを指摘され、彼女は打ちひしがれた。担当者は危機感に直面させ、学習の取り組みを見直させ、改め、前進するように彼女に奮起を促し、あきらめるなという意味で「がむしゃらにやりなさい」と叱咤激励した。自失した彼女には励ましとは響かず、「がむしゃら」という言葉だけが残った。追い詰められた目から涙があふれ、こらえ切れずに「がむしゃらって、どうすればいいのですか?」と怒りをあらわに訴えてきた。
 「がむしゃら」をいまの彼女にどう説明する? とっさに、自学室への入室時に書いた彼女の「やることリスト」を思い出した。オンラインの自学室に入り、生徒が最初に書く「やることリスト」には、学習する教科、内容、見込みの時間を列挙して、一項目ごとに実際にかかった時間を記入していく。今日、彼女が書いたリストの一行目には「算数、コンプリ(テキスト名)、29回、10分」そして実際にかかった時間に「2分」と書いてあった。これに彼女の学習姿勢が現れている。
 「いま、あなたが書いたやることリストを見てごらん。算数、コンプリ、10分とあなたは書いているよね」と静かに届けるように話した。「算数のこの問題を何度か解きなおして、もう解き方が頭に浮かんでくる。それを確認するためなら10分で大丈夫。でも、もう一度よく考えてごらん。あなたは本当にこの問題を一人で解けますか。私に説明できますか」
 黙ってしまった彼女に「10分の見込み、実際にかかった時間は2分、と正直にごまかさずに書いているのは、あなたのいいところです。問題を読んで解き方がわからないから、2分でおしまいにしたのではないですか。40分とか30分とか、考えた振りをしてごまかしてはいない。いつも言っているように、ごまかしたり、やった振りをしたりすると本当の勉強から遠くはなれます」
 涙も止まり、怒気でふてくされた表情もおさまり、聞く耳を持った。今度は、私が厳しい表情で「もう一度、この問題を見てください。本当に自分でできるかどうかやってみなさい。本当にできますか」低い声で彼女に突き刺さるように鋭く、言葉をぶつけた。彼女の目線は下を向き、その問題を見ていた。そして、また涙が噴出し「どうやって解くのか、わかりません!」と食ってかかるように声を荒らげた。
 叫ぶ彼女に、これまでに見せたことのない真剣な表情が見てとれた。追い詰められ逃げられない、最後に残る気力で反発する彼女に、本心、本気を出したと感じた。
 「『がむしゃら』ってどういうことか、わかった? 本当に自分一人でできるのかどうか。どうやって解くか、やるか、わからない、できない、泣きたい気持ちですよね。でも、いまのあなたはがむしゃらになっています。『あああ、わからない、どうしよう、なんとかしなければ…』ここがスタートです」私の言葉に彼女は虚をつかれたような表情になったが、少し吹っ切れたようでもあった。
 劇的に変わるかどうかはわからない。何度も何度もこういう経験をして成長する。中学受験が差し迫ったこの時期、逃げ道はない。ギアが上がったことは確かだ。
 「がむしゃら」になるというのは、学習を自分事として取り組むこと。学習ができる子、成績が良いと言われている子は、幼いときから他者の評価を気にすることなく、学習を自分事として取り組むことが自然とできている。彼女は、まだ小学生。遅いことはない。中学受験は学習を自分事とする絶好の機会。彼女も「がむしゃら」に取り組んでくれるだろう。彼女は、きっと合格する。

西郡学習道場代表 西郡文啓