高濱コラム 『何を与えるか』

『何を与えるか』2024年4月

 14年前のサマースクール「南アルプスの国」でのことです。みんなで早川町の大きな滝に向かって川を上流へ上流へと歩いているときのこと。後ろが騒がしいなと思ったら、2年生の女の子の川用シューズが流されて見えなくなったというのです。山間部の川ですから、地面にも尖った岩や石があり裸足では歩けません。泣いている女の子を私がおぶって滝まで登って行きました。そのサマースクール終了後、お母さまからずいぶん感謝されたので、責任者として嬉しくて、良い思い出としてずっと記憶することになりました。実はその子が、本年の社員採用の最終面接に来ていたのです。大学生になっていたのですが、「もう泣き虫じゃないんだね。立派になったな」と感動がこみ上げました。

 さて今回のテーマは「エピソード記憶」。この一例がまさにそうですが、とても心を動かされた出来事があると、ずっと人の心に残るものです。それは、ただの思い出というだけではなく、人生を左右することも往々にしてあります。
 講演会でこのところ強調してきたことの一つが、「自信もコンプレックスも同質の成立構造をしている」というものです。私の事例で言うと、小3のN先生との出来事は「自信の魔法」をかけられた一例として、よく講演会などでも紹介します。長方形のマスが10数個集まった形のなかに、大小合わせて何個の長方形があるか。「場合の数」の典型問題です。いとこのお兄さんたちとこの手の問題をよく解いていたので、さらりとできたのですが、実はクラスでも、6クラスある全学年でもほかにできた人がいなかった。そのテストを返却するときに、N先生が「まだしまわないでね。最後の問題の説明をするから。難しかったね。みんなできなかったね」と言いながら解説を始めようとされました。そして次の瞬間、振り返って「あ、そうだ。高濱くんだけできていたね」とおっしゃったのです。もともと聖母マリアかというくらい慈愛に満ち満ちた笑顔の先生で、「私たちのことをすごく好きなんだな」と信頼していたこと、解けたという確かな手ごたえもあったこと、そうか一人だけだったんだと知った驚き……いろいろな要素が相まってコントロールできないほどの歓喜が沸き起こりました。
 そしてさらに再度振り向き「そうだ。職員室で聞いたけど学年全体でも高濱くんだけだったみたいよ」とおっしゃいました。その瞬間ロケット発射のように歓喜が爆発しました。実は入学以来、小1・小2と場面緘黙の状態だったのですが、この瞬間「自信」という魔法が心にかかり、それからはしゃべりまくるわ給食のときには踊りだすわと、急に伸び伸びと生きられるようになったのです。ちなみにそのとき私の口をついて出た一言目は「俺パズル得意だから」。そして、かかった魔法のおかげでしょう。のちのち何十冊ものパズル本を出すことになりました。

 何かの分野で傑出した方にインタビューすることが多いのですが、異口同音にこの「自信の魔法にかかった瞬間」のことが語られます。先生・監督・コーチ、そして親・先輩・友達、まわりにいる方の「あの一言が忘れられない」という形で語られます。
 ここでおもしろいのは、私も典型ですが、何か科学的な知能検査で結果が出たとかではなく、生活の一コマにすぎない「一つのエピソード」が自信の土台となっていることです。おそらくその後、何度も記憶を反芻することによって、記憶が強化され、その人の人格の一部となるのだと思われます。
 逆のコンプレックスもまったく同じ構造。ある日あるときの出来事が「負のエピソード記憶」となり、何度も反芻することによって記憶が強化され、コンプレックスとして定着するのです。
 人は「自分はこういう性格の、こういうタイプの人間だ」と考えているものですが、強み(と信じていること)も弱みも、実はその大半が「エピソード記憶」によって生成されているものなのではないでしょうか。

 豊富な知識があることにも明らかに価値があるし、勤勉であることや努力し学び続けることは大事ですが、天才や博覧強記の人物ですら自死してしまう事例も少なくないように、人間は第一に「心の生き物」です。であるならば、わが子の「心を強くすること」が親としての最大の目標となります。そしてその具体策は、ただひたすらに「経験を与えること、経験の機会にあと押ししてあげること」となるでしょう。その年齢なりに適度に厳しく、乗り越えると自信になるようなさまざまな経験。野外体験での喧嘩や仲直りを含んだ人間関係の経験から、スポーツクラブなどで大会優勝や勝利を目指して鍛錬する経験までさまざまあります。中学入試や高校入試のための受験も、主体性を持った取り組みだという前提で、厳しさと鍛えられる経験という意味で、心が育ち強くなる価値があるでしょう。
 そのなかでも私は、特に野外体験を含んだ子ども同士での仲間づくりと生活や遊びにこだわってきました。卒業生に聴いても、思い出としてまずはサマースクールでの出来事を語る子が多いですし、実際サマースクールは、エピソード化しやすい多様な経験の時間が流れます。感性や真の意味での頭の良さを育む意味でも圧倒的に「大自然のなかでの外遊び」が良いと信じてきたし、その思いは年を重ねて高まるばかりです。

 さて、実は長野県の佐久長聖中学校の入学試験で私の著書が素材となりました。国語の長文問題として、『なぞとき×算数脳 子どもは難問が大好き!』(中央公論新社)が使用されたのです。入試利用自体は過去に何度か経験がありますが、興味深いのは、佐久長聖中学で私の著書が使われるのが二度目だということです。そしてそのどちらも「野外体験が子どもの心身や知力育成のために、いかに大事なのか」ということについて書いている部分が使用されているのです。これは、明らかに佐久長聖中学のある教師の方が、同じ思いを持たれているということでしょう。余談として、この視点で書いておくと、養老孟司さん等が書かれた『こどもを野に放て! AI時代に活きる知性の育て方』(集英社)が最近ではおもしろかったので、次に出題されるかもしれませんね。ちなみに本の帯には「自然の中で身体を動かすと知性が高まる!」 「自然の中で感覚を磨くことが重要です」とあります。花まるが創業以来主張してきていることです。
 そのうえに今回の「エピソード」というテーマも考慮すると、野外体験こそ「わが子をあと押しすべき本命の経験」と言えるのではないでしょうか。連休明けくらいには、夏の家族旅行等の日程もお決めになる頃でしょう。ぜひ家族でのキャンプや登山、釣り、田舎の実家での里山遊び等々、意義ある野外体験に満ちた予定を組んであげてください。

花まる学習会代表 高濱正伸