高濱コラム 『自習の姿』

『自習の姿』2024年11月

 「そんなの関係ねぇ!」の小島よしおさんとAERA with Kidsの対談企画でお話ししました。ご存じのように、お笑い芸人でありながら、YouTubeを始め、いまや「おっぱっぴー小学校の小島よしお先生」として大成功。どの地方に行っても子どもたちが大勢集まる教育界のスターなのです。初めてお会いしたのですが、謙虚で紳士、山積みの本には付箋がたくさん貼ってあるなど、努力家な一面がうかがえました。
 沖縄の久米島生まれの千葉育ち。国政選挙に6度挑戦して全敗しながら落ち込まない父と、誰にでも話しかける人間好きで沖縄料理店を切り盛りする母のもと、クラスを笑わせる人気者の野球少年として育ちました。早稲田大学のお笑いサークルの5人のコントグループWAGEは、学生ながらにスカウトされプロとして事務所に所属。卒業と同時に解散。彼一人が生き残って売れて、残り4人は手堅いサラリーマンになったのかと思いきや、全員業界に残っていて、音楽や脚本で頑張っていたり、2人は「かもめんたる」というコンビで成功しているなど、お笑いに賭けた青春群像も素敵で聞いていて楽しかったです。
 おもしろかったのは大学入試での戦略。野球部の当たり前として一浪したけれど、みんなと同じ予備校に行くと「小島あれやってくれよ」と芸を求められたり、遊んだりする。何より家にお金がない。そこで、皆が行く予備校とは駅も異なる予備校に決め、単科講座を一つだけ取って自習室利用の権利を手にして、みんなが授業を受けに行く時間もひたすら一人で勉強し「自習室のヌシ」と呼ばれていたそうです。
 何でもなさそうですが、置かれた状況を嘆くのではなく、冷静に分析しそのなかの最善の作戦を編み出し実行している。18歳としては相当しっかりした青年であったことがわかります。
 のちに、おっぱっぴーでブレイクしたは良いがすぐに追い風が消えたり、コロナで全員が「お客さんを集められない」という壁に当たったりしたときなど、彼は一瞬もウジウジすることはなく常に「じゃあどうしようかなー。よしこれをやってみよう!」と前向きにとにかく行動し続けた人生であることがわかりました。本人は「雑草の魂」と呼んでいましたが、何かこれは現代の「すぐにメンタルをやられる世代」に必要な心構えのようにも感じました。

 さて、じっと彼の話を聞いていて私の頭に浮かんだのは、「やはり自習を本当に主体的にやれる人って、成功者に多いのかもしれない」ということです。それはある2人の前例について、もともと心にひっかかっていたからです。
 一人は、Hくん。我々のバンドKARINBAのピアニストにして、建築の世界に道を決めてからはひたすらに精進して、一昨年、環境建築の世界最大のASHRAE Technology Awardで世界一になった男です。彼はもともと私の教え子のTくん(彼は彼でいまやシンガポールで国際的な企業の社長です)の友人として、高校時代にスクールFCの自習室にだけ来ていました。本当に時々教える程度で、交わすのはほぼ雑談だったのですが、妙にウマが合い、何よりも鑑賞に行った吹奏楽部の演奏のなかで、フルートを独奏するHくんの姿に才能の輝きを見出して、彼の大学進学後に一緒にピアノを教えてもらったりバンドを始めたりしたのでした。
 もう一人は、Kさんという女医。中学時代にできたばかりのスクールFC新松戸校の自習室にだけ来ていた子でした。真面目で私語もなくひたすらに勉強できる子だったのですが、筑波大の医学部に現役合格し、サマースクールのリーダーとして参加してくれたりと関係は続いていたのです。そして数年たって気づいたら、精神科医として国立精神・神経医療研究センターや東京大学で働いたり、本を書いたり、大手のサイトで有名な教授たちと対談形式で議論していたり、科学雑誌Newtonの「発達障害の脳科学」や「精神の病気」の特集で、監修を担当していたりするなど大活躍を続けています。女性の出産や子育てというライフイベントと仕事の理想的両立という意味でも注目されています。そして、何よりも私のブレーンになってくれています。私は現場での経験と子ども世界のエピソードでしか語れないのですが、彼女はちゃんと講演会のアーカイブ配信などを聴いたうえで「高濱先生が動画のなかでおっしゃっていることは、認知行動療法で言うと〇〇ということと本質が同じなんですよ」というように、たびたび献身的に教えてくれるのです。
 このひと際突き抜けた活躍をする2人の「自習室」という共通項は、いつも頭のなかにあったのです。そして小島よしおさんの自習室利用のお話。私は「ほら来たー!」という気持ちで聞いていました。
 彼らに共通するものは何でしょうか。「私はみんなのようにお金がない」と嘆くのではなく、「いま自分にできる最大の効果を期待できる戦略はこうだ」と前向きに自習室利用を位置づけている。「あの授業はおもしろくない」とか「あの先生はだめだ」とかと誰かのせいにしたり言い訳したりしない。なんとなくボケーっと勉強時間を過ごすのではなく、本当に自分の頭に知識が定着されているかどうかこそをいつもちゃんとモニターしていて、形骸化した時間をひとときも過ごしたくないと思っている。つまりは起きて活動している時間を常に「意味あるもの」にしようと努めている。
 やらされ感でなく、他人と比べないで自分の最高の戦略に集中し、人目を気にせず、自分(本当に頭に入ったか)に集中する。何よりも方針が主体的決定に基づいている……。いま講演会で社会人や学生相手に語っている「幸せの要件」にすべて合致しています。もちろん授業にも意味はあるのですが、自習室の過ごし方は、どうやらその後の人生を楽しく活躍できるものにする入場券のようなものにも思えてきます。普通は中高生、早くてもせいぜい6年生くらいから実現の可能性があるのですが、「自習に本当に集中しはじめたら、合格が近づいているだけではなく、人生の成功を手に入れようとしているのかもしれない」ということは、保護者として持っていてよい視点に思えます。どうお感じになりますか?そして、保護者のみなさまご自身は、どのような自習経験がおありですか?    

花まる学習会代表 高濱正伸