高濱コラム 『はるかかなた』

『はるかかなた』2024年12月

 「1・2・3・4・たくさん」という数え方しかない原始的な部族がアフリカにいるというような話を聞いたことがあります。その示すところは、5以上になると明確なイメージがついていかないほど「たくさん」に感じるということ。先進国ではあり得ないよね、と半分笑い話として聞きました。
 しかし、何事かについて「はるかかなた=遠すぎて、大きすぎて、感知できない」と感じる領域が、人間誰にしもあるものです。そして、その領域は個人としても人類全体としても、経験によって変わっていくものです。
 たとえば、私にとって、幼稚園時代は、橋を渡って30分も歩いて行かねばならない小学校は、はるかかなたでした。しかし毎日登校するようになると、「自分のテリトリー」として把握できている感覚になりました。そして、県庁所在地の熊本市は電車で2時間半もかかるはるかかなたに感じられましたが、高校で熊本市に下宿するようになると、県全体が「自分のいる県」として心理的に近いものに変わりました。この「つかんでいる場所」という感覚は、東京、日本全体、世界各国へと拡大していきました。
 歳を取るということは、「はるかかなた」が少しずつ「つかんでいる場所」に変わっていくこと、と言えるかもしれません。
 上を見上げてもそうです。少年時代、草むらに横たわり雲よりはるか上空を飛ぶ飛行機を見ながら、「あんなところから下を見たらどんな感覚なんだろう」と想像しました。しかし飛行機に乗る体験を重ねると「まあ、こんな感じだよな」と理解できている気になります。ちょっと想像力を働かせれば、月から地球を見る感覚すらも、いまやわかるような気がしてきます。あの屋根の上から見たら、あのタワーの上から見たら、あの山の上から見たら、あの飛行機から見たら、宇宙船から見たら……。文明の発達や科学技術の進化もあいまって、どんどん拡張し「はるかかなた」が遠のいていきます。
 それは心理的なことすべてに当てはまるでしょう。たとえば本を書いた人ならば誰でもあることですが、「あなたは本を書けばよい」と言われても「いや、私なんか絶対凡人だし。本を書ける人なんて、私なんかとかけ離れたすんごい人ですよ」と感じるものです。私もそうでした。ところが一冊書いて販売されると、「あれ、できるんだ」という気持ちに変わります。
 10月に開催した第21回シャイニングハーツパーティーを見に来られた方は、不登校の子100名以上が集まり、あんなに笑顔で全身を動かしながら、踊りも合わせて歌い上げるパンチある姿に驚いたでしょう。なかでもご両親にとっては、わが子が仲間の輪のなかに入って嬉しそうな明るい表情で、あんな表現ができる日が来ることを、つい数か月前まで想像もできなかったかもしれません。イメージがかすんでしまって「無理」な感じだったことが、「できること」「当たり前」に変わることは、さまざまな場面で起こりますよね。

 さて、この一年で印象的だったシーンがあったので、紹介します。重度の重複障がいのある息子のイルカセラピーのために家族で沖縄へ旅行したときのことです。そこでは、障がいのある人がいる家族のために、医師や看護師数名がイルカとの触れ合いやプール・海遊びを補助してくれます。
 そこに、今年初参加された78歳と76歳のご夫婦がいました。車椅子のご主人は脳梗塞で3回も倒れたせいで、9年前から右半身不随。言葉もまったく出なかったところから言語聴覚士さんとの出会いがあり、片言では話せるようになったのでした。旅の間中、「(この態勢で)苦しくない?」「おなかすいた?」等々と話しかけつづけ、すべての世話をそれはそれは献身的に行う奥様だったのですが、ホテルに向かうバスのなかで家族各々の自己紹介をしたときに、こうおっしゃったのです。
「9年前に倒れたときはショックだったし、それ以来、ずっと世話をし通しでした。でも最近ではそれも生きがいになってきたんですよね。振り返れば、ひたすら仕事に打ち込み、お金に困らない生活をずっとさせてくれたし、女遊びも賭け事もしない。姉さん女房が気恥ずかしい頃もあったけれど、3人の子どもたちも無事育って自立し、私は、この人と結婚できて人生本当に幸せでした」と。
 70歳を過ぎて、こう言い切れる夫婦が何組いるでしょう。背も曲がり顔や手に皺も目立つのですが、魂が信頼の絆で強く結ばれているお二人を見ていて、歳を取ってこうあれたらいいなと、憧れる気持ちになりました。
 まるで自分は若い側に立っているかのように書いていますが、つい先日こんなことがありました。部屋の大掃除をしていたら、20代後半で高校生を教えていたときの教科書が出てきました。山口の神父さんが作られた有名な教科書です。懐かしくページをめくっていて驚いたのは、とても読めない、米粒に描く絵のような細かい文字でいくつものメモがしてあったことです。いまは虫眼鏡でないと読めないほどで、ああこれが若さということなんだなと痛感しました。そして、亡くなった父が生前に「気持ちは若い頃のままなんだけれど、最近鏡を見て『このおじいさんは誰だ?』と感じることがある」と言っていたことを思い出しました。20代30代などは、自分はいつまでも元気でいられるような錯覚があり、はるかかなたに見えた老境ですが、私はつま先くらいは踏み入れているようです。
 残された時間を、一日一日感謝しながら全力で生きていきたいと改めて誓う年末になりました。
 この一年間、ありがとうございました。みなさまにとって平和で心穏やかな新年となりますように。

花まる学習会代表 高濱正伸