Rinコラム 『学びの本質』

『学びの本質』2018年11月

 8月中旬、アフリカウガンダの子どもたちに、光のアートと創作ワークショップの授業をしに行ってきました。
 ウガンダは長く内戦状態にあり、当時の子どもたちは、ゲリラ軍に誘拐されたり、目の前で親を殺されたり、想像を絶するつらい状況にありました。親と離れて避難生活を強いられる彼らは、電気のない真っ暗闇の夜、夜中になると悪夢にうなされて泣くのです。子どもたちが安心して夜を過ごせるために何かできないのだろうか。そんなときに、戦争のせいで長くできなかった焚火という特別な文化を思いつきます。長老が物語を語り、みんなで歌って踊る彼らにとっての娯楽。半年ほども焚火を続けることで、子どもたちの悪夢はぐっと減ったそうです。当時からウガンダに通っていたHikari Africa Projectメンバー桜木奈央子さんは、子どもたちに映画を見せてあげたいと思いつきます。焚火をみんなで囲む一体感は、まるで映画館みたいだったのです。

 時代は過ぎ、その頃の彼らは大人になりました。戦争により悪夢やトラウマに苦しんでいた子どもたちは今、親になっています。訪れた学校の壁面には、挿絵とともに標語のような言葉が書かれていました。ひとつは「Don’t Fight, Make Peace」。もうひとつは「Stop Abuse Children(子どもを虐待するのはやめよう)」。見た瞬間に違和感を覚えた私は、アート作品の設営中も、子どもたちと創作の授業をする間もずっと考えていました。明らかに子どもに対して向けられてはいないそのことばを、学校の壁面に大きく描かねばならないという意味。
 答えは、ロンドンから取材に来てくれた新聞記者との会話から見えてきました。彼女は「子ども兵」として幼少期に拉致をされ10年以上も戦うことを余儀なくされた、かつての子どもたちの現在を追って、私たちの滞在した街で何人もの「もと子ども兵」に取材を重ねていきます。筆舌に尽くしがたい体験の数々。それでも彼らは希望を持ち、子どもを産み育て、今を生きている。彼女は、校長先生にも尋ねたそうです。壮絶な体験をしたかつての子どもたちは今、親になっている。その子どもたちに親たち世代の経験は、影響があるのではないかと。優しく穏やかなシスターロゼッタはイエスと答えたそうです。その話を聞いたとき、私はピンときました。小学校の壁面に、あの言葉を書かねばならなかった理由と、ウガンダの抱える戦争の痕跡を。

 イベント当日。小学校の講堂には200人ほどの子どもたちが集まり、光のアートの点灯式と、映画の上映会を開催しました。日本の子どもたちが作った作品を手に握りしめて参加してくれる子もいます。「これは何だと思う?ビクトリア湖にもあるものだよ」その場で作品についての解説をし始めると、会場中の子どもたちがギュンと集中します。アート作品を作ることも、アートを鑑賞するという文化も初めての経験だった彼らにとって、すべては、「新しい何かを学ぶ授業」だったようです。
 サッカーボールをバナナの葉っぱで作り、ないものは自分たちで工夫して作り出してしまう彼ら。学ぶことへの貪欲なまなざしは、上昇したい、成長したいという、人間の根源的な欲求でした。それは本来、どの国のどの子も、もともと持っているもの。私がいつでも守り、引き出したいと思っているものでした。

 ウガンダでの活動記録、子どもたちとの創作の様子などは、いつも通りRin Blogからご覧いただけます。 Hikari Africa Projectのクラウドファンディングに支援いただいた多くの皆様には、改めてお礼を申し上げます。

井岡 由実(Rin)