『かかわる大人の何が問われるのか』2022年12月
上手に作るスキルを教えるのではなく、創作や実験という行為を通して、子どもたちの感受性を磨き、好奇心や意欲、表現力、試行錯誤をしながら創造していく力を引き出していく。
たとえば年中コースの思考実験のように、何かを創り出すことを通して、学びと主体性を育む現場では、一方的に教える先生、というのは必要ありません。これは、家庭でも同じです。大事な役割を担うのは、先生ではなく、ファシリテーターのような立場の大人なのです。
純粋でひたむきな「意欲」を、大人の質問でさえぎらない。どうしても困ったときは、共同制作者としてのスタンスで寄り添い考え、「どうしたいのか?」をとことん掘り下げ、ときに意見を戦わせます。それが「相手を一表現者として尊重」し、「どう感じたかを言語化していく」過程です。大事なことは、完成したものが(またはそのプロセスにおいて)上手か下手かという評価ではなく、その子が何を表現し、何を伝えたかったのかを、共感し、分かち合うこと。
そう、子どもたちが大胆に、自由に自分らしさを表現するには、その場にいる大人が、多様性を受け入れる素地を持っていることが問われるのです。彼らがやりたい、と思うことに、ジャッジするのではなく寛容であれるか。子どものようなこころで、柔軟に。促すのではなく、受け入れられるか。
「もうおしまいなの?まだ白いところあるよ」
「それ以上混ぜないで。汚くなっちゃう」
「りんごって何色だっけ?」
大人の都合や、価値観によって投げかけられるこれらの言葉。作品を作っている作者は、自分ではなく、目の前にいる子どもであることが忘れられているのかもしれません。
遊びや創作は、親を満足させるためにするものではありません。自分の「やりたいこと」と対峙し、自分のために表現する。できあがったものは、いまの子どもの分身です。
人生も同じです。目指すべきは、誰かのために生きるのではなく、自分を信頼しながら、自分で決断し、選択した道=自分の人生を歩んでいくこと。そうすることで、めぐりめぐって、必ず誰かの役に立つ生き方ができるはずなのです。
みんなが、自分というアートを人生で作り続けるアーティストであれますように。そんな思いで、いつも子どもたちや、子どもとかかわる大人のみなさんとかかわっています。
「自分はどう感じるのか」を、大人も子どもも、大切に表現できる毎日でありますように。よい年末年始をお迎えくださいね。
井岡 由実(Rin)