『見ていてほしい――主体性を引き出すコツ①』2023年9月
教室では、私たちがその役割を担っていますが、「何かができたときは、見ていてほしい」というのが子どもたちの本質です。
「見てもらいたい」「聞いてもらいたい」「ほめてもらいたい」「共感してほしい」……。
子どもたちが、自分で、自分の作品について説明をしだすときは、聞いてもらいたい、見てほしいという強い思いからです。
隣の子の制作を、私が言葉にしていると、子どもたちは横目で必ず確認しています。それから、自分の作品も見てほしいと要求するのです。注意を向けてもらうこと、ですでに、満足の気持ち。
それまで言葉を発さず無表情だった子でも、その瞬間安堵の表情を浮かべます。そして、安心して次に向かいます。より自信を持って。
自分の分身である作品を、言語化し「うん、いいね」と共感してもらえることは、“彼ら自身”への承認と同じなのです。そこから来る満足、達成感、よろこび。さらなる表現の追求。その繰り返しです。
「見て!」という子どもたちの欲求は、いつもあるものです。
しかし、ご家庭でその全部に一つひとつ応えることは難しいのではないでしょうか。
そんなときはとっておきの対応を。私もよく、同時にいくつもの要求が来たときは、やっていること。それは、目だけでコミュニケーションをとる、ということです。
一瞬、視線をあわせて「うんうん」「見ているよ」「へえ!」「それはびっくりだね!」という“表情”を送るだけです。それだけでも十分なのです。
大切なのは、「今」という勘所を抑えること。
何かできたときには見ていてほしい生き物なのだ、という本質を知っておくだけで、子どもたちの「認めてほしい気持ち」を逃さずにいられるはずです。
集団で学び合いをするときには、「どんな違いがあると思いますか?」などと発見や考えを発表してもらうことがあります。毎回手を力強く挙げるものの、いざ話そうと思うと、言葉の断片が宙に浮かび消えていく……それでも言いたい気持ちがある子もいます。急かさずに、できる限り言葉を待つようにします。彼が納得できる話の終わりまでには、とんでもなく長い時間がかかることもあります。
そんなとき私は、「一緒に考えたい、知りたいよ、答えを聞き出そう」という“表情”を、“ほかの子どもたち”に向けます。そして最後に必ず、一生懸命に伝えようとしたその姿勢が、「すばらしいことだよね」と称えます。
彼にとって失敗体験になるか、小さな成功体験になるのか、その場にいるみんなにとって学びがあるかどうかも、私の言葉次第なのです。
次回はさらに、彼らが自分の意見を伝えられるようになるために、私が意識しているあることについてお話しします。
井岡 由実(Rin)