『うまくいかなくてもくじけない』2024年5月
「『先生、失敗しました』って言ったり、うまくいかなくて、『もうできない!』って怒ったり泣いたりする人が、ときどきいるんだけれど……」そう言うと、何人かの子どもたちが、ハッとした表情をします。思い当たる節がある子もいるのでしょう。気づかないふりをして話を続けます。
「失敗、ってないんだよね。だって、正解があるものを作っているわけではないでしょう?」
「自由に、やりたいように作るとき、決めるのは“自分”だったよね」
「正解、は誰が決めるのだろう?」
「うまくいかないなあ、思い通りじゃないなあっていうものができあがったら、どうしたらいいと思う?」
アートを制作する前の、子どもたちとの哲学対話は続きます。
「もう一回、やり直したらいい」「手伝って、って言う!」「工夫する!」子どもたちは、自分なりの考えを口にします。そのどれもが、尊い意見です。
「そうだね、うまくいかないことは、別に悪いことではないね。もしかしたら、これが何か、別の新しいものに生まれ変わるかもしれない、と思ってみたらいいだけだね」
「それを、発想の転換、と言うよ」
正解のない創作の世界にも、葛藤や、思い通りにいかないハプニングは存在します。子どもたちが内なる自分自身との対話をとおして、思い描くイメージを表現する過程で、自然に生まれるものです。
経験値がある大人はとかく「そうやったらうまくいかない」と、未来への予想がついてしまいます。
「(多分ひっくり返すから)やめて」
「(一人だと時間がかかるから)それ貸して」
「(汚れるから)だめ」
「(全部用意してから)はいどうぞ」
……と普段の生活でそれが当たり前になっていると、いざ遊びや創作の空間でも、ついついいつもの調子で、子どもたちの体験や主体性を奪ってしまっている場合があるかもしれません。
彼らの葛藤や「あ、しまった!」「困ったな」という表情は、この世で最も尊い瞬間です。そんなとき、いつも私は笑います。
「おもしろいことになったね。そこからどうしようか?」
「いいよ、試してごらん」
自由とは、責任が伴うものです。最後まで経験させてあげること。大人が手を出しすぎないことによって、子どもたちの葛藤から生まれる、柔軟に発想して工夫する想像力を、失敗は失敗じゃない、別の何かが生まれる瞬間だと知る体験を、子どもたちに与えることができるのです。
「私には(きっと)できないから、やらない」と言う子に、「私の接し方が悪かったからだろうか。長女だからと厳しく声かけをしてきてしまったかもしれない」と悩まれるお母さんがいました。子どもは経験値が少ないから、未来の見通しが立ちません。さらに、性格の持つ特性が強く現れる時代。彼女は幼いながらに、自分ができるかどうかを見極めて、慎重になりたい人なのでしょう。それは知性の表れであり、性格なのです。
「尻込みしちゃうあなたはダメ」も、「お母さんが厳しくしすぎたから」も、「こうあらねば」「ちゃんとできないといけない」も一度取っ払って、「あなたはそういう人なんだねえ」と丸ごとおもしろがる気持ちで、私なら彼女にお話を聞くだろうなと考えました。
子どもと対峙すると、大人のほうが試されることばかりです。私たちが「自分の価値観」と向き合うために、彼らが何かを見せてくれているかもしれない、と考えると何か別のものが見えてくるかもしれません。
完璧であろうとしないこと。落ち込むのではなく「じゃあどうする?」と気持ちを切り替えられる人のほうが、何倍も人生を楽しむことができますよね。
昔の人は言いました。「かわいい子には旅をさせよ」と。
日常は彼らにとって、小さな“旅”の連続です。大人のほうも葛藤しながら、子どもたちにはたくさんの“旅”を経験させてあげたいものです。
井岡 由実(Rin)