『自由な環境とは対等であること』2024年9月
創作中、子どもたちはどんな気持ちでいるのでしょうか。
できたものを「見てほしい」という前向きな思いだけではなく、「思いついたアイデアを試してもいいのかな?」「これでもいいの?」「失敗しちゃった」というような不安が出てくることもあります。
大切なことは、すべての提案や発見、新しいアイデアを含む子どもたちの思いをそのまますべて受け止めるということ。「これだとうまくいかないかも……」「この道具はそんなふうに使うものではないよ」と大人が思ったとしても「ダメ」とは言いません。
「いいね」「やってみてごらん」「おもしろいアイデア」「間違いはないよ、大丈夫」こんなふうに肯定、ポジティブ、前向きな認める声かけで返答します。
「これをやったらダメと言われるのではないか」という緊張感が解けてホッとした顔をする子もいれば、「本当に? やっていいの?」と何度も確認する子もいます。しかし、「ここは何でも受け止めてもらえる場なんだ」と安心した子どもたちは、どんどん「自由に」創作していくことができるようになります。
不思議なことに、人は自分の在り方そのものを肯定してもらえる環境では、その場にそぐわない行動はしなくなります。自己の内面へと意識が向かうからでしょう。
作品制作、創作表現は、正解のない世界。既存の価値観や他人の評価に拠る必要はありません。子どもたちが「自由に」創作できる環境を整えることができれば、感性、自主性や意欲、他人を尊重する力、想像力は自然と引き出されていきます。その環境をつくるための重要なポイントのひとつが「大人と子どもが対等であること」です。
それはつまり、表現者として対等であるということ。
普段私たちは年長~中学生までの30人くらいの子どもたちとスタッフ数名が一緒に創作活動をしています。通常、異学年の子どもたちがこれだけ集まると「6年生だから」「中学生だから」「下の子の面倒を見なければ」というような意識が生まれます。そのことは、教育的にも意味がある集団のダイナミクスと言えるのですが、創作の時間にはそれが生まれないのです。
「1年生だからうまくできない」も「中学生だから上手」もない。全員が、自分と同じように自身の作品に向き合って作り上げたものがそこに並ぶと、自然と作品と作者への敬意が生まれてくるのです。
「そんなアイデアがあったのか!」「私は気づかなかった」「すごいなあ」……鑑賞会では、心からの称賛の言葉がもれ、作品をよく見ようと、身を乗り出して観察し、子どもたちは対等に、お互いの作品を認め合います。
「こんなふうにも見える」「本当だ」「ひっくり返してみて」作品の見方は、鑑賞者の解釈によって無限に広がったり変化したりしていきます。ものの見方を広げていくこと、多様な視点で見つめることに、(対話型)鑑賞は役立つことが、その様子からわかります。
大人のスタッフも、子どもからアドバイスを受けたり、自らの制作のヒントを得たり。いい意味で「全員がフラット」であれるのは、その場にいる大人が、心から子どもたちの作品とともに存在する“共感者”であり続けたからです。
生み出された作品は、子どもたちの内面が目に見える形となったもの。それは一人ひとりのいまが凝縮された、その人そのものです。心が一つひとつ唯一で世界一なのと同じで、それぞれの作品も唯一で世界一のもの。そして、その人の心(作品)を見て、自分の心が何を感じたかを表現しあっていくことが、コミュニケーション(鑑賞)。全員が全員の心を認め合う。そのままの自分であることを、肯定し続けられる時間。そのことが子どもたちにとって、どれほど重要な意味を持つのか。
本当に「自由な」表現を許されたときにこそ、子どもたちは真の自分を解放して、力を発揮し、自信を得るのです。
井岡 由実(Rin)