『没頭の先にある情熱 ―自分で世界を肯定していく―』2024年10月
創作活動に没頭している間、子どもたちのなかで一体何が起きているのでしょう。それは「自分との対話」です。「対話」というと、人と人の間に存在するもの、と考えることが多いかもしれません。しかし実際には、内なる自分と対話することのほうが多いのが、人間という生きものです。
創作中の子どもたちは、「もっとこうしたい」という内なる欲求を確かに感じ取り、自分自身と向き合いはじめます。「誰かのために」ではない「自分のための」制作の時間。それが「上手であるか」どうかではなく、表現する過程そのものに夢中になっているのです。
人に言われてやる何かではなく、そもそも正解のない世界で、自分自身の正解を探し続ける。
人が自分で主体的に生きていると感じるためには、他者からの承認や感謝のことばのほかに、自分が判断している、自分が決めている、という実感を持つことが必要です。大人にとっても、幸せの軸はそこにあるはずです。
幼児期にその実感を得られるのは、夢中になって遊んでいるときです。熱中すると時間を忘れて没頭する、その感覚を持てているかどうかを、大切にしてあげてください。子どもたち自身のなかにある、学びたいこと、がうかびあがってくるからです。それに向かって自分で内容をデザインできる、それが「創作活動という遊び=主体的な学び」なのです。よりおもしろいほうに自由にルールを変えながら遊び続ける外遊びも同じです。
「好き」という感情は、“肯定”です。好きなことがあるということは、世界を肯定していることになる。つまり、世界を好きになるということになる。
夢中になる自分、というものを持っていると、必要のない自意識にはとらわれず、心無いことばに邪魔されず、自分らしさを追求できるのではないでしょうか。
花まるの年中・年長コースでも、新しい知識や発見や驚きを、感動とともに仲間と分かち合い、それぞれが「思考と創造の体験」に没頭する時間があります。
そのとき私たちが、作品の出来・不出来を評価することはありません。なぜなら「対話」する過程そのもの、夢中になって没頭する体験が人生に及ぼす影響を意識するからです。
子どもたちが自分と対話しながら夢中になって創作していくときに見せるあの真剣な横顔は、どう見られているか、どう評価されるかなどは微塵も考えていない表情で、まさに没頭の瞬間です。だからあんなに美しく、声をかけることもためらうほどの光を放っているのです。
それを人は、情熱というのかもしれません。
井岡 由実(Rin)