『自分の意思で自分の心を満たす』2024年11月
先日、OBの高校生が自発的にミニワークショップの現場にお手伝いに来てくれました。彼は小さな子どもたちに対して、まず「どうしたいの?」とその子の意見を尊重し、手助けをしていました。「こうしたほうがいいよ」でも「貸して、お兄ちゃんがやってあげるから」でもなく。
作者が自分の表現を大切にできるように手助けする。そこには、子どもたちの自己表現を支えようとする姿勢がありました。
ある子は水色のペンで背景を真剣な面持ちで塗り続け、また別の子は紙を切ったり折ったりして、立体的な形を作ることに夢中でした。
ただひたすら創作の時間を楽しめるように。自由な空間を守ることで、子どもたちは自分との対話を深め、没頭していきます。私たちはそのプロセスを否定せず、応援するだけです。
「あなたらしさ」を表現してもいいとわかると、子どもたちは生き生きとし、心を解放していきます。
子どもたちは作品が「できた!」と思った瞬間、誇らしげな表情で親の姿をキョロキョロと探します。
「え! もう終わりなの?」「それだけ?」「色は? 塗らないの?」もしもそんな言葉が聞こえてきたら、私は彼らに変わってその作品の良さを、言葉にして伝えるようにしています。
作品をよく観察すると、その子が「美しい」と感じたわけ、「そうしたい」という理由が必ず隠れているからです。試行錯誤の片鱗も見えてきます。その子らしさが全面に見える場合もあります。
そもそも、作品はその子の「分身」です。
「黒一色がいいと思ったんだね」「まるで書道みたい!」「勢いがあって好き」。授業で鑑賞会をするときは、そんなふうに作品に対してどんなところがいいなと感じるのか、自分の心に聞いてから言葉にして伝えあいます。
その経験の積み重ねが、きっとOBの彼がちびっ子アーティストにしてくれた対応につながっていたのでしょう。
それは、彼自身がかつてそのように尊重されてきた経験から培われたもの。
私たちが無意識に持っている「自分はどういう人間か」という根本的な信念を「中核信念」といいます。「自分は大切にされている」「自分には価値がある」というポジティブな意識を持っているか、それとも「自分の考えには価値がない」と思い込んでいるかどうかは、人生の局面で「きっと自分ならできる」と信じるか、「自分なんかどうせできない」と諦めるかほどの違いを生み出します。
普段Atelier for KIDsに通ってくださっている保護者の方々は、「ここが浮き出ていて素敵」「読書が好きだからこの形にしたんだ」と、その子の工夫や大切にしている部分を見つけ共感してくださっていました。
「自分の思いや表現が尊重される」。それは他人の意思ではなく、自分の意思で、自分の心を満たすことであり、その経験に大きな価値があるのです。そして、彼らの表現を尊重し、支えて見守り応援することは、きっと私たち大人の役割でしょう。
どの子も、作品と同じように自由に自分の人生を創っていけますように。何を幸せと感じるのか、自分の本当に好きなものを見失わずに生きていけますように。
井岡 由実(Rin)