Rinコラム 『はじめての「いし!」-観察の目を養う』

『はじめての「いし!」-観察の目を養う』2024年12月

 暑い夏の盛りに初めて会ったとき、彼は担当の先生の膝の上にいました。その日は4歳児さんが5歳児さんと一緒にはじめての絵の具で作品制作をする日でした。

 2回目に会えたのは、秋の気配が顔をのぞかせた晴れた日。彼は教室のうしろでぴょんぴょんと飛びはね、ときどききゃっきゃと楽しそうな声を響かせました。
 その日は、子どもたちが海辺で拾ってきたたくさんの石たち(そのなかにはフジツボや貝殻がくっついているものも!)を観察することからはじめました。
 私は川からまるい石や、地層模様が見える不思議な柄の石も見つけてきました。担任の先生が自宅の裏山から見つけてきてくれた石もあります。

 海・川の石と、山の石は、見た目にもぜんぜん違います。けれども子どもたちは、まだその違いに気づきません。
 二つを並べてみせるとようやく「尖ってる!」と山の石を指さします。「本当だ!川の石は丸いのに! どうして尖っているんだろう?」私は共感し、問いかけます。
 「音がなる!」と気づく子もいます。地面に置いて石同士をぶつからせると「地面がゆれる!」耳元で音のちがいも聴き比べます。さらに「海のにおいがする!」フジツボを石からはがした子がつぶやきます。みんなで石のにおいも嗅いでみます。石をぶつけると、小さなカケラになり、そのカケラで石に描くこともできることを発見します。“知の共有”が自然と生まれていきます。
 いろいろな石を手にして、自分にしっくりくる質感を選び、重さを感じ、色や形、そしてにおいや音……まさに五感すべてを使って堪能しながら、石との出会いを体験する。そうやって子どもたちは素材の特徴をつかんでいきます。

 子どもたちが何か新しい素材に出会うとき、よく見て、触って、感じることを通して「観察」し、自ら何かを発見していくことを、私は「素材と友達になる」と表現します。
 このとき大切なのは、子どもたちが自分で発見したことに、同じ目線で驚き、「なぜ?」と問いかけながら一緒に心を動かす大人の存在です。
 何かを教えよう、とせず、させよう、とするのでもなく、子どもたちのなかから生まれてくる発見や感動の声に共感しつづける。子どもたちの好奇心の芽を、ありのままのあなたの感性を、認める。
 そのことは、彼らのなかに、「自分が感じたことは、大切な意見として聴いてもらえる」という体験として残ります。

 「観察する」ことができるようになると、何かに出会ったときには、「違いを発見」し、「物事を多面的に見ることのできる」人になります。
 そもそも、「気づかない」人は何かを深めていくことはできません。気づき、それはなぜ? と考え、仮説を立て、調べたり、実験をしてみたり、想像したりすることは主体的な思考のはじまり。
 多角的なものの見方を身につける土台にあるのが、観察の目を養うことなのです。

 その日の振り返りの時間、ある保育士の先生が興奮して教えてくれました。
 「はじめて聞いたんです。あの子が、はじめて単語を喋ったんです! 『いし!』って言いました!」と。
 仲間が同じ空間で体験していたすべてのことを、彼は参加はしなくても、聞いていないようでも、彼なりの「石との出会い」を果たしていたのだ、と私は思いました。
 
井岡 由実(Rin)