『真心』2019年8月
人は「言葉」の中で生きています。特に、子どもたちは私たち大人以上に言葉に敏感です。その「言葉」とは、口に出す言葉だけでなく、文字として残る言葉もあります。きれいな言葉、汚い言葉、優しい言葉、厳しい言葉、…込められる意図や想いは様々ですが、言葉は自分に返ってきます。実際に痛い思いをしなければわからないこともたくさんあります。私自身がそうでした。
高校生時代、私はまさに反抗期のまっただ中。自分のことをわかってくれていない、放っておいてくれ、様々な思いが混ざり合い、日々解消できない葛藤と闘っていました。その気持ちが爆発したあるとき、母に対して「何で(私を)産んだんだ!」という言葉を投げつけた記憶があります。いま考えれば、本当にひどい話です。母の顔は見られず、逃げるように自分の部屋へ逃げ込む私。そのときには後悔の念しかありませんでした。「何であんなことを言ってしまったんだろう」「母はどんな気持ちだろうか」…言葉は一度発したら消えるものではありません。胸の痛みは、いまだに心の奥底に刻まれています。そのとき、言葉に対して初めて「責任」をもちました。
その後、何をする気力もなく、部屋に籠ること数時間。深夜になって、母がそっと夕ご飯を私の部屋の前に置いてくれました。夢中で平らげ、母のいる寝室へ。何を言おうかと考えていたわけではありません。ただ、床に入っている母に対し、一言「ごめん」と。すると、母から言葉が返ってきました。
「おやすみ。また明日ね。」
母の顔は暗闇の中で伺うことができません。ただ、いま思えばおそらく笑っていたのだと思います。その声がいつも以上に柔らかかったから。
そのときの母の言葉は、私の胸にスッと届きました。
怒り、悲しみ、やるせなさ…母の心にも様々な感情が渦巻いていたはずです。それらを包み込んで発してくれた「また明日ね」の一言。その言葉に救われたのです。
翌朝、いつも通り「おはよう」と声をかけてくれた母に対し、いつもは目も合わさず、返事もしなかった私ですが、顔を上げて小さな声で「おはよう」と返すことができました。昨晩の胸の痛み、母の言葉を思い出したからです。
もちろん痛い思いをするだけではありません。言葉が心を健全に育てていく例がたくさんあります。
先日、連絡帳で、あるお母さんから「わが子の誕生日にメッセージカードを送った」というエピソードを教えていただきました。その子は、これまではサッと読んでおしまいのところ、何度も読み返し「泣きそう」と目をウルウルさせていたとのこと。そこで出てきたのが「すごく嬉しい」という言葉だったそうです。
想いは伝わる。いつか響く。
改めてそのことを教えてもらいました。きっと、その子の心の中に、気持ちを受け止めるだけの土壌ができていたのでしょう。毎年メッセージカードを送り続けたお父さんお母さん。その子の心に想いが届き、何倍にもなって言葉が返ってきたことが、自分のことのように嬉しかったです。コメントを返す手にも自然と力がこもりました。
ふと、私の頭の中に浮かんだのは「真心」という言葉。
相手のことを想う、嘘偽りのない気持ちです。
寝床から聞こえてきた母の声。
大好きだよ、応援しているよ、ありがとう、愛情たっぷりの言葉で締めくくられていた連絡帳。
受け継がれるものは、心。次世代に残したいのも、心。
今日も明日も明後日も、真心をもって子どもの前に立ち続けます。
高橋 大輔