花まる教室長コラム 『自分の心と向き合う時間』

『自分の心と向き合う時間』2019年12月

 先日、小学生クラスで作文コンテストを行いました。普段は十分ほどで一枚を書くのですが、この日は一時間かけて作文を書きます。

 作文を書くとき、子どもたちにいつも伝えていることがあります。それは、自由に書くことが大切ということ。嬉しかったことや楽しかったことだけでなく、いやだったこと、悲しかったこと、イラっとしたことも書いていいよと。なぜなら、「悔しい」や「悲しい」という気持ちを押し殺すことなく表現することは、自分を大切にすることだからです。「いやだ」「イライラする」という感情は悪いものかというと、そうではありません。自分の喜びは何なのか、逆に違和感を覚えることは何なのか、それがわかって初めて「自分」というものが見えてきます。だからこそ、そのように伝えてから子どもたちに作文を書いてもらいます。今年、四年生の女の子がこのような作文を書きました。

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 「思ったこと」

 テレビで校長先生のはなしが長いのは、ネタ本を使っているからだと言っていた。わたしの学校の校長先生が「本や人をたよるまえに自分でまずは考えて、どうにかしよう」と言っていた。その時、私は思った。「人のことを言う前に校長先生みずから言った『人をたよるまえに自分でまず考えてどうにかしよう』という言葉をまず校長先生がお手本としてやってほしい」と。二年生のころはもしかしたら「ネタ本を使っていないかも」と思っていたけれど、今は「絶対見てるな、ネタ本」と思ってしまう。なぜなら、コピーした紙をすごくじろじろ見ているからだ。それにわたしは、腹が立ってしかたがない。

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 四年生にして鋭い視点で物事を見ています。先生がネタ本を見ているにせよ、そうでないにせよ、コピーした紙をじろじろ見ているのは事実。そして、「人に言う前に自分がその姿を見せてほしい」というのは、誰もが覚えたことのある違和感なのではないでしょうか。「口ではなく行動で見せてくれ」という彼女の主張は、一本筋が通っていてとても説得力のあるものです。

 小学生は、花まるの授業で毎週作文を書きます。この作文を書く意味の一つは「自分の感じたことを取り出す」という経験を積むことです。一週間で自分の心に残ったこと、自分が感じたことを取り出す。もしかしたら、感情を揺さぶられるほどの大きな経験はなかったかもしれません。ただ、それでも「何か心が動いた瞬間はなかったかな」と思いをめぐらせる。それは、すなわち「自分の心と向き合う」経験です。作文には、相手に伝わる表現を身につけるというねらいもあります。ただそれだけではなく、「自分の心と向き合う」というのも作文を書く意味だと思っています。

 自分の心と向き合うことで、自分自身が見えてきます。「自分は何が好きなのか」「自分は何をしているときに喜びを感じるのか」。こういった経験を重ねることで、自分自身のことがよくわかってくるのです。それがわかれば、自分らしい生き方を切り拓いていけます。

 自分のことは自分が一番よくわかる。だからこそ、人に決められたことでは100%の満足を得られない。自分だけが〝自分が幸せに生きるすべ〟を知っているのです。周りの意見や評価、これが当たり前という常識、固定観念などに左右されることなく、自分という軸を持って生きていく。

 とことん自分の心と向き合って自分の道を切り拓いていってほしい。そう思うからこそ、これからも、子どもたちが「自分の心と向き合う時間」を大切にしていきます。

坂口 徹