花まる教室長コラム 『ビワの種を投げた理由』土方日向

『ビワの種を投げた理由』2023年11月

 「あ! 空がオレンジ色!」と、授業中に私が話をしているとき、突然大きな声を出して立ち上がったAくん。私の話を遮るその言動に、迷いはありませんでした。彼の視界の先には、窓枠と、綺麗な夕焼けだけが広がっていました。
 Aくんの心は、夕焼けに鷲掴みにされていました。たしかに、私の話などどうでもよくなるくらいの綺麗な景色だったのです。「太陽が沈むのが早くなってきたね~」「冬は暗くなるのが早いんだよ!」そんな話をしながら、みんなと幸せな時間を過ごしました。
 子どもたちが、ほかの何かを差し置いて、衝動的な言動をするとき。その瞬間、子どもたちの心のなかには、抑えきれないほどの感動や知的好奇心が沸き上がっているのかもしれません。

 私が小学2年生の頃、給食の献立にビワが出ました。ビワには、焦げ茶色の大きな種があります。私は、ビワの種を握りしめ、教室の窓のほうへ歩き出しました。外は土砂降りです。そして、窓を開けると、握った拳を大きく振りかぶり、校庭横にある花壇目がけて、種を放り投げたのです。私の手から放たれた種は、すぐに大粒の雨に紛れて飛んでいきました。その直後、「何してるの!」という大きな声に驚き、振り返ると、先生がすごい剣幕で立ち上がりました。「取ってきなさい!」と言われた私は、慌てて校庭に飛び出し、傘も差さずに種を探したことを覚えています。
 幼少期から、「大人に気に入られたい」「人に嫌われたくない」という想いが強かった私は、先生やまわりの大人に好かれるような行動を意識して生きていました。そんな私ですから、先生に叱られることなど滅多になく、穏便な日々を過ごしていました。

 それでは、なぜ私は「ビワの種を校庭に投げる」という、当時の自分からすれば突拍子もない行動に出たのでしょうか。
 それは、「種を土に埋めなくても、芽が出ることがある」ということを聞いたことがあり、それを試したくなったからなのです。たったそれだけのことで、と思うかもしれませんが、先生に叱られることよりも、「この種も発芽するかもしれない!」という、自分の知的好奇心を満たすことを優先して行動しました。
 先生の大きな声を聞いたときは、とんでもないことをしてしまった、と思いました。気が動転していた私には、雨が降っていることを気にする余裕などありません。びしょ濡れになって帰ってきた私に、先生は投げた事情を聞き、私が叱られることはありませんでした。
 その日のビワの種を、団地の花壇の端っこに置いたことを覚えています。なかなか発芽しないので、結局土に植えたのですが、すぐに発芽して驚きました。すくすくと成長するビワの木でしたが、団地の整備のため、花壇があった場所は自転車置き場となり、果実を実らせることはできませんでした。
 しかし、「人目を気にすることなく、自分の心の赴くままに行動できた」という事実は、いまでも私の原体験として、心に実り続けています。夕焼け空に夢中になり、話を遮って発言をしたAくん。あの場に小学生の頃の私がいたら、「先生が話しているから静かにして!」と、先生に気に入られるような発言をしていたことでしょう。

 まわりの環境や人目を気にせずに、自分の心に素直に従って行動できることは、生まれながらにして子どもたちが持っている能力です。まだまだ知らないことだらけの世界で、無限のようにあるピースをはめていく作業は、人生を彩る行動そのものだと思っています。子どもたちの心が揺れ動くその瞬間を受け止めて、感動を分かち合えるような、そんな教室を目指してまいります。

花まる学習会 土方日向