花まる教室長コラム 『「やる」と「やらない」のあいだ』山岸亮太

『「やる」と「やらない」のあいだ』2024年5月

 今年の夏、いかがお過ごしだったでしょうか? 嬉しかったこと、悲しかったこと…どんな経験も、豊かな子ども時代の一部になっていくものだと思います。そんな心動く夏休みを過ごしてきたのだな…と久しぶりに会う子どもたちの笑顔を見て感じました。
 私の夏休みはなんといってもサマースクール。夏の暑さ…以上に心が熱くなる。そんな日々の連続でした。
 「うわ~!!」と声が上がるのは「魚さばき」の時間。まずはレクチャーからスタート。魚のおなかに包丁がプスッと入る瞬間、目をぎゅっとつぶる子もいます。ズブズブと刃を進めていき、お腹をひらいたら内臓を手で取り出し、よく洗います(その後、お宿の方が焼いて夕食に出してくれます)。
 子どもたちが自分の手でさばく時間がやってきました。2年生のSくんは包丁を持ち固まってしまいました。草原遊びでは大はしゃぎで野原を走り回っていたSくんでしたが、包丁を持ったその背中はキュっと小さく丸まっていました。
 ほかの子が挑戦していくなか、動けなくなってしまったSくん。手を添えて、一緒に魚さばきを「経験させてあげる」ことは簡単です。しかしここは親元を離れ、生きる力を、たくましい心を育むサマースクールの場。少し時間をとって彼と話をしました。
 「さばくの、怖いよな。血を見ると、痛そうに思えるよな。でもね、この魚はS以外だれも、なにもできない。どうしてもできないならそれでもいいんだ。そのまま捨ててしまおう。せっかくの命、ちゃんと食べようと思うなら、Sの手でやるしかないんだ。リーダーはどっちにしてもいいと思う。S、少し悩んでいいよ」と。そのまま1分ほど固まったままのSくん。どんな決断をしようと、「自分で決めるしかない」と逃げずに、自分の気持ちに向き合っているこの時間こそ価値があると思い、待ちました。
 なかなか決断できないSくん。「無理してやる必要もないんだよ」と、どれだけ優しく伝えても決して包丁を離しません。そのときの表情を見て感じました。Sくんはあのとき、「やる」か「やらないか」で悩んでいたのではなかったのでしょう。心では「やる」と決めていた。でも体がなかなか動いてくれなかった。「やる」と決めても、「やる」までには、少し時間が必要だったのでしょう。
 さらに数分後、ついにSくんが手を動かし始めました。最初はゆっくり、でも慣れてくると手際よく包丁を進めます。ついにはひとりでやりきりました。内臓を取って、丁寧に洗って、そうして魚さばきの時間は終わったのです。
 それからは、何度も魚さばきの思い出話が彼の口から出てきました。そして、最終日。私からは「『痛そうだから…』と手が止まっていたね。でもそれはSに勇気がなかったからじゃない。Sがどこまでも優しいからだと、あのとき思ったよ」そう伝え、お別れをしました。
 「やる」か「やらない」か、で選択を迫られる。子どもだけでなく大人にだってよくあることです。でも実は「やる」と「やらない」には、その間、があるのでしょう。「やる」と決めた、でも「やる」にはもう少し時間がかかる。「やらない」わけではない、でもまだやれない。時間がほしい。そんな瞬間です。
 そんな自分の心と向き合う貴重な時間を大事にしてほしい。大事にしてあげられる大人でいたい。そんな気持ちに出合った夏でした。
 あのときSくんを説得して、私の手をSくんの手に添えて、一緒にやってあげることは簡単でした。でもSくんがこれから先「やる」と「やらない」の間に立ったとき、自分で一歩を踏み出せる人になってほしかったから、あえて見守ることを選びました。自分の心と向き合うためには、「ひとり」で頑張る瞬間と「信じて待ってくれる人」が必要なのでしょう。自分で心の壁を乗り越えていく「心の冒険」ともいえる時間ですね。
 そんな心の冒険を、普段の教室でも大切に。どんな壁を前にしても「あなたなら頑張れる」と信じ、待つ。そんな場所であれるよう力を尽くします。

花まる学習会 山岸亮太