花まる教室長コラム 『感謝の5円玉』豊田星那

『感謝の5円玉』2024年6月

 暑い夏が終わりを迎えました。子どもたちと過ごす夏は濃く、あっという間でした。嬉しそうに笑う姿、うまくいかなくて葛藤する姿、友達と離れるのが寂しくて涙を流す姿。どの子もさまざまな感情を抱きながら、ひとまわりもふたまわりも大きくなって帰っていく。2泊3日のサマースクールでそんな光景が何度も見られました。

 私が参加したのは町探検をするコースです。子どもたちには1000円のお小遣いが渡され、使い道をそれぞれが考える、というプログラムがあります。チームで話し合いをしながら港町を探検するのですが、チームの仲間と揉めてしまったり、折り合いがうまくつけられなかったりしたのが4年生のNくんです。チームから少し外れて涙を流している姿を何度も目にしました。そんなNくんは2日目の午後、町探検に行くことを渋りました。途中までは一緒に行動していましたが、「自分は引き返したい」。町探検の続きをしようとしているチームの子がいるなかで、Nくん1人のために全員で宿に戻ることはできません。救護リーダーを担当していた私は、Nくんを連れて宿に戻ることになりました。

 そのとき、Nくんのお財布のなかには95円が残っていました。Nくんはそのお金でお肉屋さんの90円のコロッケを買うことに決めていたそうです。午前中に熱々のコロッケを頬張っていた仲間を見て、“最後のお金はこれに使いたい” と決めていたのです。宿に戻るまでの道中にお肉屋さんがあったので、寄ってから宿に戻ることにしました。

 お肉屋さんに入ると、店主のおじちゃんがテレビで甲子園を観ていました。Nくんの顔を見て「いらっしゃい」と優しい顔を覗かせました。Nくんは「コロッケを一つください」と口を開きます。おじちゃんはNくんの言葉を聞いて少し困ったように、「暑いからもう油の温度を下げちゃったんだよ」と言いました。

 うまくいくことばかりではない。これも学びの一つ。そう思ったのも束の間、おじちゃんは「おにいちゃんのためだ」と腰を上げ、「10分くらい待っていられるかい?」とNくんに尋ねました。Nくんは目を輝かせて静かに大きく頷きました。

 油の温度が上がるのを待っている時間は、他愛もない話に花を咲かせました。地元の話やおじちゃんの孫の話、高校野球の話……。おじちゃんにはNくんと同じ年の孫がいること、孫たちがNくんのきょうだい構成とまったく同じだったこと、Nくんは将来甲子園に出たいこと。おじちゃんは油の温度が上がる10分間をもNくんのために使ってくれました。

 熱々のコロッケが揚がりました。90円を渡し、「ありがとう」の言葉を伝えると同時にコロッケを頬張ります。ふわぁっとこぼれる笑み。感想がなくてもわかります。おじちゃんは満足そうにNくんの表情を眺めていました。改めて感謝の言葉を伝え、お店を出て宿に戻ります。100mくらい歩いた頃でしょうか。Nくんがポケットのなかに手を入れ、ふと、こんなことを口にしました。

「この5円、おじちゃんに渡したらよかったな」
Nくんのお小遣いは残り5円。宿に向かって歩いた100mを、Nくんと一緒に走って戻りました。

「おじちゃん、この5円もらってください。ぼくのためだけにコロッケを揚げてくれてありがとう」

 言葉では伝えきれないほどの感謝の気持ち。自分のためを想って動いてくれた温かい心に触れる尊い経験。おじちゃんとの一連のやり取りは、Nくんの心に大きく残るものとなったでしょう。

 おじちゃんはNくんからの5円玉を受け取ることはしませんでした。驚いた顔でNくんを見つめ、すぐに微笑んで、
「おにいちゃん、この夏の思い出の5円玉だ。大切にポケットにしまっておきな」
そう言って、Nくんを温かい眼差しで見送ってくれました。

花まる学習会 豊田星那