『「そっかぁ!」で広がる世界』2024年11月
算数大会でのこと。悩んで悩んで、自分の考えをまとめられなかったものに対して、「なぁんだ、そっかぁ!」と声をあげた子がいました。すると、「そっかぁ!」ってなんかいいね! という空気が広まり、ちょっとしたブームに。わからなくてもいい、間違っても発見がある。「〝わからない〟は自分が成長するチャンスだよ」と折を見て伝えてきましたが、言葉で伝えるよりも自分で感じ取ったほうが、その意味をより実感できたようです。
算数大会が後半に差し掛かった頃、「“できた”と“そっかぁ”がほとんどじゃん」と、3年生のMくんが言いました。「たしかに〜」とまわりの子が続きます。「できた!」という喜びは、自分の自信に。「できた」と思えなかったものは「そっかぁ!」に。つまり、挑戦したものはどれもプラスのもの。そう考えると、「そっかぁ!」はわからないことを受容する言葉でもあり、それによって「まだ知らない世界」に少し自分の色をつけはじめるきっかけとなるものでもあるかもしれません。
ちなみに、彼の言葉にある「ほとんど」というのは、考えても「そっかぁ」と思えないものもまだ世の中にあるのだろう、という彼なりの察しがあるからのようです。
子どもたちといると、ふとしたときに「こうしたほうがいいんじゃない?」と手を差し伸べたくなるときがあります。「こうするとうまくいくよ」というのは、一見すると優しいようで、大人の経験を押しつけてしまっていたかもしれないなと、このときふと思いました。「うまく」の定義は大人からみた価値観であって、まだ見ぬ結果を先に伝えているようなもの。「やってみよう!」という実験の、一つの結果というシンプルなものであったはずのものが、成功と失敗があるものに変わってしまったら、この先の挑戦が失敗したくないものになり、挑戦さえも恐れるようになってしまうかもしれません。目標を決めてコツコツ努力を重ねていく挑戦とは別の、はじめてやってみるものにおいては、成功でもなく失敗でもなく、「そっかぁ!」であるといいなと思います。
かつて理科の授業でやった濾過の実験。ほかの班よりも濾過がなかなか進まず、焦った班のメンバーが棒の先でつつくと、濾紙は破れてしまいました。「だから、絶対触るなよっていったのに……」という悲しそうな先生の一言は、「失敗」を印象づけるものでした。「どの班もうまくいってほしい」という先生の願いも感じつつ、いま思うとあれは実験ではなく教科書に記されている「実験」を実証する時間だったように感じます。
「思うようにいかなかったら、思うような結果が出るまでやればいい」という言葉に、そうだよなぁと納得したことがあります。そう考えるとそもそも失敗という概念はないのですが、せわしない日々のなかで余裕がなかったり、一回の結果で落ち込んでしまったりして、“もう一回”になかなか踏み出せないことも多いものです。(だからこそ、思うようにいかなかったことを失敗談として笑って話せる人は強いなぁと思います。そのあとの「思うような結果が出るまでやりきった」という過程も含めて「経験」があるということ。その積み重ねが、その人らしさになっていくのでしょう。)
大人になって、いつのまにか先が見通せることも、イメージできることも増えました。それは、それを支える経験を重ねてきた証でもあります。しかし、そのぶん、「きっとうまくいかない」「これをやり始めたら大変そう」ということへのアンテナは敏感になり、「どうなるかなぁ」よりも、「こうなってほしいなぁ」と思いながら過ごすことが多くなったようにも感じます。もしかすると、知らず知らずのうちに新しい出来事との出会いも少なくなっていたのかもしれません。自分で「そっかぁ!」から遠ざかっていたなぁと少し寂しく思いました。
子どもたちが過ごすこれからの未来が、「そっかぁ!」であふれる日々でありますように。
花まる学習会 久慈菜津紀